マイナー・史跡巡り: 明日香村① ~高松塚古墳と亀石~ -->

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明日香村① ~高松塚古墳と亀石~

万葉の里 明日香村
さて、今年年始に奈良県は明日香村に行ってみました。長くなりますが、いくつかのシリーズで史跡巡り紹介をさせて頂きたいと思います。

【※写真はクリックすると拡大します。】

1.石への信仰

今回の明日香村行きは、高松塚古墳、亀石、橘寺、石舞台、飛鳥寺、天の香久山の順に観て廻りました。

明日香村と言えば、万葉の里として、日本人の原風景として有名ですが、今回気が付いたのは、高松塚古墳、亀石、橘寺、石舞台までは、石が中心の構造物が多く、しかもそれらは、何か、日本史の中に出てくる日本人のイメージとはちょっと違う感じがしました。

飛鳥寺には、日本最古の仏像がありますが、この辺りから、段々と、その後、1400年もの長きに渡る近代直前までの日本人の臭いがしてくるような気がしました。

意外と小さい高松塚古墳
それが何なのか、史跡巡りと並行して考えて行きたいと思います。

2.高松塚古墳

最初の史跡は、高松塚古墳です。7世紀松から8世紀の初めごろに造られた古墳です。昭和47年の発掘調査で、日本で初めて、石室内に描かれた壁画が発見されたことで有名ですね。

外から見た感じは、非常に小さい古墳に感じました。発見のきっかけが、生姜の貯蔵庫を掘っていたという辺りも、ちょっと掘れば色々と出てくる明日香村らしいです。

自分も兎に角掘ってみようかな?

男女群像(西壁)

16枚の凝灰岩の切石を箱型に組んだ石室(奥行2.7m、幅1m、高さ1m程度の小さなものです。)があって、その内側に塗られた漆喰を下地として、壁に色鮮やかな「男女群像」「青龍」「白虎」「玄武(亀みたいな変な生き物?)」「日・月」、天井に星宿が描かれています。教科書でも良く見た壁画ですね。

実は、この古墳はいくつも不思議な事が起きているとして有名です。以下列挙してみますと

 ①埋葬されている人の首が無かった。

 ②埋葬されている人物が特定できない。
  天武天皇の皇子説、臣下説、朝鮮半島系王族説等が
  ありますが、良く分かっていません。

 ③壁画が発見されてから、カビ等の発生による劣化が
上・青龍(東壁)
下・玄武(北壁)
激しく、まるで早々にこの絵を消したい意志が働いて
  いるように見える。

これらの事実から、「埋葬された人は、この世に恨みを残して死んだ人間であり、そのような恨みを持った人の墳墓を暴いたので、祟りがあった。」との説から、当時の明日香村の観光課長さんが病死したとか、近隣の人が高熱にうなされたとか、色々な噂があります。

まるで、ツタンカーメンの発掘のようですね。

しかし、上記の壁画の雰囲気からは、日本というよりは朝鮮系の匂いがしてきますね。ヘタな推測は良くありませんが、やはり朝鮮半島系の王族なのではないのでしょうか?

万葉の里とは言いますが、日本古来のというよりは、海の外から来た香りがします。

3.亀石

次に訪問したのは、亀石です。そこに行く途中、セブンイレブンに寄りましたが、流石明日香村のセブンイレブンですね。
セブンイレブンも瓦屋根

しっかりと瓦屋根です。

京都と同じように景観を損ねないようにとのことでしょうね。

さて、田んぼと住宅の間に、亀石があります。

ぽつねんと現れる亀石ですが、かなり大きく、重々しいです。

しかし、その表情は写真のように、かなり癒し系です。

押してもびくともしません。

逆に一生懸命押せば押すほど、この涼しい顔が「君程度が動かせる僕じゃないよ。」と言っているようで、癪に障ります。

ただ、伝説によれば、動くと大変な事が起こることが分かりました。

昔、この奈良盆地が湖だったようなのですが、何か事があったようで、水が全部退いてしまい、この辺りの亀さん達が全滅したそうです。

亀石は表情が良いですね!
で、超巨大な亀さんは石となりました。

これが亀石ですが、これがとんでもない亀さんで、現在南西方向を向いています。

しかし、この亀さんが真西を向いてしまうと、大和一円は泥の海になるというのです。

しかも、昔は東を向いており、時間とともに、今の方向に時計廻りに向きを変えていると・・・

間の抜けた顔した亀さんですが、実は時限爆弾装置です。

しかし、この伝説あながち、嘘ばかりでは無いようです。

奈良盆地の生い立ちは、海湾→海水湖→淡水湖→盆地に変化したという説があります。

http://musubu2.sblo.jp/article/45685693.html

昔は湖だった奈良盆地?
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html

ちなみに、約6千年前の海水湖当時の地形を今の等高線から推測すると右図のようになるようです。

なので、亀石の伝説も、あながち全く事実無根から発生したのではなく、この辺りの生い立ちに立脚したものなのではないでしょうか?

また、確かにこのような大きな岩が南西方向から真西に向き直るとなれば、大きな地殻変動があることが予想されます。

勿論一気に来るのか、何千年も掛かって少しずつ動くのかは分かりませんが、どちらにせよ、このような巨石が方向を変える程の大地の動きがあれば、また昔のように奈良盆地が水没しても、荒唐無稽な話とは言えないのではないでしょうか?

昔の人はそこまで読んだのかもしれませんね。

4.巨石文化はどこから来たのか?

橘寺にある石像
この後も、明日香村で訪問した橘寺や、石舞台等、明日香村は巨石の遺跡が多いです。

30年前に私が修学旅行で見た、鬼の雪隠や俎板、酒舟石等もそうですし、先の高松塚古墳やキトラ古墳の壁画等も石抜きには話せません。

勿論、古墳等の石は近くの川の上流で採ってきた等の説が有力ですが、どうもそれ以外の巨石の遺跡を見ていると、何か日本固有の文化とは違う感じがします。

インドネシアの石像
どちらかと言うと、昔現地で見たトンガやハワイ、グアム等、ポリネシア・ミクロネシア系の巨石遺跡と共通するものを感じます。

もしかしたら、奈良盆地の巨石文化は、奈良王朝が始まる前に、海洋民族が齎した文化の遺構なのではないでしょうか?

次回は、この辺りを深堀しながら、橘寺、石舞台、飛鳥寺の史跡巡りを書いてみたいと思います。

【高松塚古墳】奈良県高市郡明日香村平田439
【亀石】奈良県高市郡明日香村川原108