マイナー・史跡巡り: #マイナー史跡
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マイナー・史跡巡り
訪問した史跡を繋いでいくと物語になります。
点・点とある史跡が、このBlogにより結ばれ、史跡巡りが楽しくなって頂ければ幸いです。
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日曜日
大航海時代と朝鮮出兵② ~妄想から構想へ~
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前回 は「耳塚」から、秀吉の構想の元となる信長の海外戦略について軽く触れた。また同時代の世界史に目を転じると、スペイン・ポルトガルが世界を2分して侵攻しようとするトルデシリヤス条約・ サラゴサ条約について紹介した。 今回は、更にスペインの世界侵攻戦略について考察を深める。その上で...
水曜日
大航海時代と朝鮮出兵➀ ~耳塚にて思うこと~
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京都の方広寺と言えば、その梵鐘の銘文「国家安康」が有名である。徳川家康は、「家康」の諱の間に「安」の字を挿入したことを、あたかも自分の首を切断したことに等しいと難癖をつけた。 この屁理屈を口実として、徳川家康が豊臣家を征伐し、大阪の冬の陣・夏の陣で淀殿と豊臣秀頼を滅亡させたこと...
月曜日
秀吉の天下統一④ ~奥州仕置から天下統一完成へ~
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前回は小田原城の落城から宇都宮仕置までを扱った。 今回はその続き、 宇都宮仕置から奥州仕置 、そして 東北地方の混乱と収拾 を描き出そうと思う。この一連の動きを、 東北の雄・伊達政宗 の動向を追いながら詳述していく。この混乱の収束こそが、 豊臣秀吉の天下統一の完成 となるのだ。 ...
木曜日
秀吉の天下統一➂ ~宇都宮仕置~
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前回は小田原城の総構えを囲む、秀吉軍20万の包囲網が完成、大規模な石垣山城を付城とし、開城を促したところまで述べた。 今回は、その続きを解説する。 1.石垣山城でのエピソード2つ 小田原城を見下ろす位置に石垣山城を築いた秀吉。ここで有名なエピソード2つを改めてご紹介する。 《家康...
火曜日
中国大返し➂ ~「神速」のその先へ!~
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前回、豊臣秀吉が備中高松城から姫路城まで驚異的な速さで移動した「中国大返し」の舞台裏について描いた。海路活用説や、播磨・摂津の有力武将たちが明智光秀につくか秀吉につくか迷う中、彼らを牽制するための 「神速」戦略 があったことを述べた。 そして、今回はいよいよ大返しの最終章、 「山...
木曜日
中国大返し② ~何故そんなに急いだのか~
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前回は、中国大返しが始まり、備中高松城から超高速で東上し、備前宇喜多氏の居城である沼城(備前亀山城)で一時停止した後、一気に姫路城まで駆け抜けたところまでを述べた。今回はその続きである。 ①中国大返し日付と移動距離等 1.大返しにおける海路活用説 大返しは、約230kmの行程をわ...
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