大番役として京へ出向く伊東祐親(すけちか)へ現地の雑説(情報)を入れて欲しいと息子の伊東祐清(すけきよ)から依頼された頼朝。安達盛長と祐親の館(現在の伊東市)に到着する直前、音無神社の森で頼朝らを迎えに来た祐親や妹たちに会います。
その妹の中でも、一番の器量良しの八重姫に頼朝は一目惚れします。
即、頼朝は八重姫にアプローチします。館に招かれたその日の夕暮れに音無神社で待つと八重姫の耳元で囁くのです。
咄嗟のことに八重姫は戸惑います。しかし夕刻、八重姫は頼朝が音無神社に居ないでくれと願いながらも、音無神社に向かうのでした。
今回は、この続きからです。
1.音無神社
音無神社のある伊東は非常に温暖な地であり、東南アジア等に多く植生するというタブの木が境内に沢山あるのです。
この地がいかに温かく過ごしやすい土地なのかを示しています。(360度写真①)
①音無神社境内(360度写真)
ここで頼朝は既に半刻も前からじっとしておりました。
近くの松川から飛んでくる蛍の光は宵に向かうにつれ、その数を徐々に増していき、頼朝の横を通り過ぎて、タブの大木の元へと飛んでいくのです。
それはまるで、このタブの大木が、太古の昔から蛍の逢瀬の場所のような、そんな幻想的な景色でした。
頼朝はタブの幹に近づき、蛍が集まる場所をのぞき込んでいました。小さな蛍が、沢山と幹の洞(うろ)の中に集まっています。(写真②) |
②音無神社のタブの木の洞と蛍光 |
ふと背後に気配を感じた頼朝が振り向くと八重姫がいました。少し離れたところで、頼朝の方に近づいてくるわけでもなく、所在無く立っています。
「こっちに来て!」
頼朝は笑顔で八重姫に話しかけます。彼女は頼朝の顔を真っすぐに見ようとはしません。
ただ、おずおずとタブの幹の前の頼朝の横に来て、しゃがみこむのです。
先ほど、ここに来るまでは、積極的に声を掛けてくる頼朝に対し、気恥ずかしいやら、なれなれしくて嫌だなとかいろいろな感情が複雑に入り乱れていました。音無神社で待っているなんて冗談であってほしいと願いながらも、家人たちに嘘をついてまでここまで来てしまった自分が良く分からない八重姫でした。 |
③音無神社での出会い (音無神社展示絵) |
「ここにね。沢山蛍が集まっているでしょう。ほら、ここにパッ、パッと光を放つ蛍がいる、これがオスです。で、多分、こっちのジッとしているのがメス。見ててください。」「ほら!今、メスのお尻が1回だけ弱く光ったのが見えましたか?これオスの求愛を受け入れたっていう意思表示なんですよ。」「あ、こっちも今何回か光りました。お相手は・・・。こいつかな?あ、尻が光ました。受け入れたんですね!」
としゃべり続ける頼朝。八重は洞の光に照らし出された頼朝の横顔を見ることができるようになったのは、もっと大人のアプローチをしてくるのかと思った頼朝が、既に20代後半にしてまるで少年のように蛍の観察に熱中していることに安心したからなのです。
ー意外と純粋な方なのかしらー
松川の対岸にある田んぼから、蛙の合唱が先ほどよりひと際大きくなり、それが夏の夜の到来を感じます。
「ずっと離さない・・・」 |
④積極的にアプローチする頼朝 (音無神社展示絵) |
ーえっ!ー
八重はハッとして頼朝の顔を見上げますが、彼はまだ、先ほどの蛍を見つめています。
グォー、グォー
急に自分たちの足元で牛の鳴き声のような低い響き声がしました。
「あははは!」
雰囲気が一気にそのユーモラスな声で崩れました。ヒキガエルの鳴き声にビックリする八重姫。大笑いする頼朝。
「さて、これからの夜の宴です。祐親殿が準備してくださっています。戻らねば。今日は、ここに来てくれてありがとうございます。」
八重は一気に緊張が溶けると同時に、少し物足りないような、自分でも良く分からない感情のわだかまりみたいなものを感じます。
「蛍はね。私の住んでいる狩野川の流域にも沢山いるんです。私は好きで、毎年彼らを観察しているのですよ。でね。こうやって交尾を始めると、雄は雌を朝まで離さないんです。」
ーさっき「離さない」と言いかけたのは、この蛍のことだったのー
八重は段々気恥ずかしくなってきました。自分ばかりが何か変な事ばかり早合点していたのかと。
「明日もまたここで待っています。」
「・・・」
このお方、なんのためにここで私を待つのだろう?
2.北の御所 |
⑤「北の御所」推定地域等 |
翌日も八重はまた葛藤します。待っていると言っても、何をするわけでもなく蛍談義をされるだけ?あの人いつまでこの伊東にいらっしゃるのかしら?なんか密かに音無神社に行くみたいで家人に見つかったら恥ずかしい。どうしよう。行こうか、やめようか。
結局、またそっと館を抜け出して八重姫は音無神社へ向かいます。
この日、頼朝は嬉しそうに八重姫に話をしたのは、祐親殿が自分を気に入ってくれ、是非この伊東の地にしばらく逗留して欲しいと言われたとの話でした。
祐親の大番役の役務開始は、3か月後なのですが、祐親は頼朝と話をしているうちに、早めて1か月以内に出発することにしました。
というのは、頼朝はある助言を祐親にしたのです。
京に大番役で行くなら、お役目開始より早い時期から貴族たちと交友を深め、周旋活動をしておいた方が良い官位獲得の可能性が開けるとアドバイスをしました。
当時、地方の武士たちは京の院や天皇、摂関家等の警護役である大番役に赴くことの見返りに官位を貰い在庁官人として、朝廷や有力貴族らの権威をバックにすることができるというギブテクがあったのです。
そのため、役についてから、あまり目立ったことをするより、役務期間に入る前に賂(まいない)含め色々と気遣いをした方が良いだろうと、頼朝が伝えると
「流石は佐殿。上西門院殿の蔵人(くろうど)だったことはある。」
と祐親は感心してしまい、早々に京へ発つ準備をするので、その間、伊東に滞在して、細々した諸雑に関し教えて欲しいということになったという話でした。 |
⑥「北の御所」は伊東駅周辺? |
一応、頼朝は貴人ではあるものの、流刑人であることから、監視役とは離れて暮らす習わしがあるのです。ですので、祐親は祐親の館とは谷を挟んで対面にある離れの館を頼朝に当てがいます。
ここが、現在の伊東市の北側斜面にあたる(祐親の館は南斜面)ため、「北の御所」と呼ばれるようになるのです。
現在、北の御所の場所は特定されておりませんが、伊東駅周辺だったのではないか?またはそれより少し山側へ上がった松月院のあたりではないか?等の伝承があります。(地図⑤)
◆ ◇ ◆ ◇
私も現地に行って、「北の御所」の推定場所の辺りを見て廻りました。(写真⑥)
地図⑤の点線に囲まれた辺りなのですが、伊東駅より少し北側斜面を上がったところにある松月院。(写真⑦)
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⑦松月院からの眺め |
音無神社や伊東祐親の館のあった物見塚公園方面も良く見える場所です。
この寺院もかつては伊東駅の方にあったということなので、もしかしたらやはり御所自体はもう少し標高が低い現在の市街地に近いところにあったのかもしれません。
いずれにせよ、伊豆蛭ヶ小島も北条時政の館から少し離れたところにあり、館のすぐ近くの守山から頼朝の館が監視できたのと同様に、「北の御所」も伊東祐親の館から少し離れた場所で、かつ監視しやすいところにあったのではないかと松月院からの景色を見ながら私は思いました。
3.日暮(八幡)神社
こうやって、連続して頼朝と八重姫は音無神社で日暮れになると会い、段々と少しづつ自身の話や日常を話していくことで、心を開きあうのです。
最初は、頼朝に会うことに非常に抵抗を感じていた八重姫も、彼と何度も会ううちに、単に自分が異性を過剰に意識していただけと思うようになりました。
今は、松川からの川風に吹かれながら、夏の夜を音無神社のタブの木の幹に腰かけて頼朝と話をするのが楽しい。頼朝も同じようです。
ただ、時々祐親から呼び出されて、相談に行く頼朝は、段々と自分の北の御所まで戻らなくなりました。
音無神社のすぐ西隣、田んぼの中に小さな社がありました。そこに馬を繋ぎ、中で日が暮れるまで待つのです。
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⑧日暮神社 |
そして、この社で日暮れを待つという慣習は、伊東祐親が京に向かって出発すると殆ど毎日のこととなりました。
いつしか、土地の人は、この名前も無かった社を、頼朝が日暮れの八重姫との音無神社での逢瀬を楽しむために待機していた場所であることから
日暮神社(日暮八幡神社)
と呼ぶようになったのです。(写真⑧)
4.八重姫の懐妊
しかし、男女のことは、心開きあえば開きあう程、接近するのは古今東西変わりません。
伊東祐親が京に大番役として上った後も、祐親が頼朝に「佐殿は、このまま幾らでも、この伊東にご逗留くださって結構です。北の御所は私が留守中も使ってくださって結構。」と云われたことから、逗留し続けます。
夜になると音無神社で八重姫と逢瀬を重ねる日々。(写真⑨) |
⑨松川の脇にある音無の森(音無神社) |
何日も頼朝が通いつづける様子は、まるで蛍のオスが何度も何度も光をメスに向けて点滅させるのに似ています。そしてとうとう八重姫もメスの蛍のように、一度限りの光の点滅・受け入れ了解の意思表示をするのです。
その後、頼朝蛍は八重姫蛍を長いこと離しませんでした。
◆ ◇ ◆ ◇
日暮れを、近くの日暮神社で幾ら人目を忍んで待機しようと、人の多くないこの地方のことですから、噂は直ぐに人々の間を駆け巡ります。
安達盛長はこの時、時々伊豆の北条の里から、この北の御所を訪ね、頼朝から近況を聞き、北条時政や函南に住む比企尼(ひきあま)に状況を報告していました。(図⑩参照)
比企尼は自分の思惑通りのこの状況を殊の外喜んでいます。思惑とは
①頼朝殿が伊東祐親という伊豆の実力者に気に入られ、その娘を妻とすることで後ろ盾を得る。
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⑩頼朝と八重姫を巡る人たち(再掲) |
②妻ができることで、安達盛長の妻・丹後内侍(たんごないし)に余計なちょっかいを出さなくなる。
の2つです。
ただ、実はこの時、北条一族は、このことを面白く感じてはいませんでした。
幾ら流刑人であると言っても、頼朝は源氏の正統な嫡男です。かれが一時的だろうとはいえ、伊東祐親の元にいってしまい、その土地が気に入ること自体、いい気はしません。
殊に、北条一族の長・時政の息子・小四郎(後の義時)が一番気にしていましたが、当時の彼はまだ13歳。伊東家の姫様方にかわいがってもらった過去の経験から、八重姫を頼朝公に取られてしまったことに嫉妬してのことだろうと、周りは噂をしておりました。
そうこうするうちに、1年経ちました。
するとどうでしょう。八重姫は頼朝の子供を宿しているのです。
5.千鶴丸誕生
生まれた子供は、男の子で千鶴丸と名付けられました。(絵⑪)
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⑪千鶴丸の誕生 (音無神社展示絵) |
無事出産できたのは、この前回も出てきた八重姫の兄・祐清(すけきよ)が全面的に頼朝と八重姫の仲を取り持ち、支援してきたおかげです。
頼朝、初めての子供です。かわいくて仕方がありません。
しかも男の子。比企尼の作戦でいけば、この子の祖父となる伊東祐親に頼朝の支援を頼み、後ろ盾をしっかりしたいところです。
ところが、この時、小四郎こと後の北条義時が、何故かそうはさせじと画策します。彼は伊東祐親と交代で大番役に京へ出向く父・時政に一言お願いをするのです。
伊東祐親が大番役として京へ行ってから、早いもので3年が経とうとしていました。
長くなりましたので、続きは次回。ご精読ありがとうございました。
《続く》
【音無神社】〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13【物見塚公園(伊東祐親館跡)】〒414-0046 静岡県伊東市大原2丁目80−1【松月院】〒414-0002 静岡県伊東市湯川377【日暮(八幡)神社】〒414-0013 静岡県伊東市桜木町1丁目2−10