さて前回、逢瀬を重ねる頼朝と八重姫の間には千鶴丸という男の子が生まれます。頼朝も初子であり、とても喜んだという話を書きました。(絵①)
①千鶴丸を愛おしむ頼朝と八重姫 (音無神社蔵) |
今回はその続きからです。
1.北条義時の画策
当時小四郎と名乗る北条義時は、大番役で京に上る父・時政に言います。
「父上、京で祐親殿にお会いしたら、是非お伝え頂きたいことがございます。」
「なんじゃ?小四郎」
「伊豆守・源仲綱(なかつな)殿に対し、中央(平家)から謀反の兆しがないかしっかり見張るよう勅書が出ております。仲綱殿は5年前のあの伊豆の大不作時、朝廷に献じる五節舞の舞姫の費用が出せない、中止するしかないと請文を出して以来、色々と中央に対する文句が多いようです。」
「まあ、仲綱殿は元々文句言いな性格でもあるからな。ああいう御仁は上から目を付けられやすい。御父上の頼政殿は中央で上手にやっておるがの。でもそんなことは祐親殿にわざわざ京で話すことでもあるまい。」
「いえ、それだけなら良いのですが、最近、こちらから伊東殿のところに行った頼朝殿。なかなか帰ってきません。もしかするとこれは我々の監視下を離れ、祐親殿が大番役で京に上っている最中に、頼朝殿は仲綱殿と共謀しているのではないかと噂されております。しかも、」
小四郎は続けます。
「頼朝殿は何とか伊東一族も巻き添えにしようと画策しているのではないか、と隣国駿河守の長田入道(忠致:ただむね、頼朝の父・義朝を名古屋でだまし討ちにした)が疑っているという噂を聞きました。勿論噂の域を出ませんから、放置しても良いのですが、実は祐親のご子息である河津祐泰(かわずすけやす)殿が長田入道殿のところに行った時に、『頼朝殿は、うちの祐清や妹たちと非常に仲が良い』と話したことで、そのように疑いをもたれたようです。まあ、長田入道殿のことですから、頼朝殿が伊東殿や我々等の在官庁人と仲良くなること自体がお気に召さないのかもしれませんが。」
「ほう、ならば伊東祐親殿には一言忠告しておいた方が良いかもしれんな。頼朝殿には気をつけろと。」
「はい。よろしくお願いします。」
小四郎は、心の中でニヤリとします。長田入道が疑っているというのは小四郎の作り話です。しかし、これが後になって効いてくるのです。
2.祐親の怒り
大番役の役目を果たし、京から伊東へ戻る伊東祐親。
戻る直前、京で久しぶりに会った時政の忠告が頭をよぎります。
ー長田入道は義朝殿をだまし討ちにしてから河内源氏である頼朝殿の復讐を恐れているのじゃろう。杞憂、杞憂。ただ、頼朝殿もなんでワシが京に行っている間、ずーっと伊東におるのじゃ。ワシが京へ上がれば、北の御所から早々に韮山・蛭ヶ小島に戻られると思ったのに3年近くもおるのは不自然じゃ。ー
といううちに伊東の館へ戻ってきた祐親。戻ってから3日間は、3年ぶりに京から戻ってきた主(あるじ)の祝い続きでしたので、頼朝のことなど忘れてしまいました。
②松川(伊東大川)のこの辺りで 柴漬けにして祐親らは上流へ |
「あの子は?」
と妻に問いかけます。
この子は千鶴丸です。この時、既に2歳になっています。勿論、逢瀬と千鶴丸の出産については、祐親は何も聞かされていません。
祐親に言おうか言うまいか迷っていた妻は、ままよ とばかりに
「頼朝殿と八重の子です。あなたの孫ですよ。」
と告げたのです。
しばらく意味が良く呑み込めず、茫然と遊んでいるその子を見ている祐親。
はっと、北条時政の忠告が頭の中を過ぎります。頼朝が3年近くも伊東にいるのはこのせいか!長田入道をはじめ、四囲では既に噂になっているのだろう。知らぬは俺ばかりという訳か!源氏に嵌(は)められた!
そして、はげしい勢いで妻に言います。
「娘の数が多すぎて、行き場が無ければ、乞食にでもくれてやるが、この時分に大罪人である源氏の流人を婿にするとは、なんたる不行き届き。もし平家に見咎められたらなんとするのか!仇の子は殺すのが古今云われていることだ!」
③火牟須比神社の橘 |
築山で遊んでいた千鶴丸を無理に抱え込むと、嫌がり泣き叫ぶ孫を無理やり抱えて馬に乗り、音無神社の横を流れる松川(現・伊東大川)のほとりまで出ます。
3.橘の枝を持たせ急流に投げ込む
そこに集まった兵に千鶴丸を柴漬け(柴で体を覆い、簀巻き状態にすること)にさせます。
そしてモノのようにそれを馬に括り付け、松川上流に走るのです。(写真②)
ところが、簀巻きにされた千鶴丸があまりに泣き叫ぶのに流石の祐親も辟易しました。
すると不思議なことに千鶴丸はピタッと泣き叫ぶのを止めたのです。(写真③)
そこから更に半里(2㎞弱)程行くと、松川からかなり高さのある崖に出ました。
この辺りは付近の大室山という伊豆の名物火山の溶岩が成した地形であり、松川もかなり急流になっています。
「このあたりでよかろう」
なんと、ここで柴漬けの千鶴丸を川底へ投げ込んでしまうのです。(絵④)
⑤稚児ケ淵入口に立つ看板 |
⑥千鶴丸が投げ入れられた場所 |
⑦沢山いる沢蟹 |
4.富戸三島神社の橘
この東伊豆には千鶴丸の伝承は沢山残っています。
柴漬にされた千鶴丸は川に落とされると落命し、その遺体は松川を流れ下ります。途中音無神社の横も流れ下っていったのでしょう。約4km流れた先の海に流れ出た遺体はそのまま、伊豆半島の湾岸流にのり、約10km、川奈沖等を経由して、伊豆半島の西海岸にある富戸の宇根という海岸に流れ着きました。
そしてこの地域の住人が千鶴丸の遺体を見つけ、現在の富戸三島神社に葬ったと言います。(写真⑧)
⑧千鶴丸を葬った富戸三島神社 |
この時、千鶴丸が握っていた橘の小枝を、この神社の土に挿したところ、見事に根付いたのです。富戸の人たちは、「この幼子の生きたかったという思念が、この橘に移ったに違いない。」と噂し合ったと言われています。(写真⑨)
⑨富戸三島神社の橘 |
5.伊東祐清(すけきよ)の助け
話を、千鶴丸を川へ放り入れた直後に戻します。
伊東祐親は自分の孫を殺すという、人非人的な行動をせざるを得なかったことに対する悲しみも手伝って、今回の事態を引き起こした頼朝を激しく憎みます。
「おのれ頼朝!流刑人の分際で八重をたぶらかすとは! 目にもの見せてくれん!」
といきり立つ祐親。稚児ケ淵から直接、兵とともに、頼朝のいる「北の御所」に急行するのです。
一刻後、松明を持った30の兵で「北の御所」を取り囲んだ祐親。
「頼朝!出てこい!よくも八重をたぶらかしたな。」
と大声で叫びます。
ところが、シンとした北の御所は、頼朝はおろか、人っ子一人気配はありません。
◆ ◇ ◆ ◇
この少し前に、祐親とその妻の会話のやり取りを見ていた祐親の次男・祐清が、頼朝の身の危険を察知して、「北の御所」の頼朝のもとに走ったのです。
「何、伊東入道殿(祐親)が激怒とな。」
「はい、残念ながら千鶴丸はもう駄目でしょう。頼朝殿もここに居ては危険です。恐れながら、私から隣の北条宗時殿(義時の嫡男・この時時政は京へ大番役として出ているため)には早馬を飛ばし、頼朝殿の受け入れを依頼しております。宗時殿の受け入れが整うまで、どうか伊豆山権現へお隠れください。」
「うむ、よろしく頼む」
ということで、頼朝は祐清らと一緒に、北へ馬を走らせ、熱海の海際に迫った山の中にある伊豆山権現に逃げ込むのです。(写真⑩)
⑩伊豆山権現(伊豆山神社) |