私の家の周りに「杉山神社」なるものが多いのですが、全国的にはあまり聞かない神社名です。
杉と山(AI作画) |
なんで?と調査しても、これがなかなかはっきりしないのです。
しかし、ひょんなことから、少し見えてきたことがあったので、ご報告します。
それは、最近、里見氏を調べていると、周囲の人から「安房ってさ、阿波の人が移り住んだからアワって言うらしいよ。」と言われます。
ああ、それって「淡路島」が「阿波への路の島」と同じ、音合わせね。と考えていました。ところが、どうやら安房には、阿波の豪族、後に中臣氏に圧され消えてゆきますが、忌部(いんべ)氏が黒潮に乗り、渡ってきたらしいのです。
忌部氏、麻や穀の栽培拡大に尽力した一族としても知られています。ちなみに阿波は、太古は「粟」だったのですが、全国漢字2文字で国を言い表すようになったので、「粟⇒阿波」となったのですね。
そして、実は杉山神社も、この忌部氏と関係が深いようなのです。
安房に入った忌部氏の一族は、杉材の船で阿波から黒潮に乗ってやってきただけではなく、当時の東京湾の中もあちこち行き来したようです。そこで忌部氏により、白羽の矢が立った土地として鶴見川流域があります。
それは、鶴見川流域が麻の自生が盛んな土地だったのです。私の住んでいる横浜市青葉区のすぐ横が川崎市麻生区、麻生区は7〜8世紀当時、麻の自生の多い土地だったので「麻が生じる」という意味合いで名付けられたようです。
その麻を基にしたかどうかは良く分かりませんが、当時の都筑郡(現・横浜市都筑区)は開拓者である忌部氏の勢力が強く、古東海道も横断し、物資の集散地だったようです。
写真①と写真②は、当時都筑郡衙があった遺跡「長者原遺跡」です。
①都筑郡衙跡「長者原遺跡」 |
今は住宅街の一角にある公園ですが、すぐ横を東名高速道路が走っています。また246号線のすぐ脇でもあり、旧東海道の搬送能力が高い土地にあったことが伺えます。
②東名高速、国道246号を跨いで建っていたそうです。麻や穀の集積地だった? |
杉山神社は、忌部氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに広まったものと考えられ、これは私の想像ですが、やはり海人である忌部氏の船材である杉を祀ったので杉山と言ったのではないかと考えるとロマンチックですよね。
③茅ヶ崎・杉山神社 |
写真③、写真④は、この郡衙の近くにある茅ケ崎杉山神社ですが、式内社という格のある社であり、上記由来の一部が伝承としてあるようですよ。7世紀頃の話のようですね。
④茅ヶ崎・杉山神社境内 |
もう1つ近所の杉山神社です。(写真⑤⑥⑦)
⑤鶴見川流域最上流の杉山神社 |
⑥鶴見川流域最上流の杉山神社境内 |
こちらは、写真⑦の解説にありますように、鶴見川流域72社ある杉山神社の中でも最も上流にある神社です。住所は東京都稲城市ですが、麻生区のすぐ近くですし、やはりこのあたりまで麻の栽培等が盛んだった証左の神社かもしれませんね。
⑦鶴見川流域最上流の杉山神社と書いてあります |
また色々と調べて新しい発見があれば、ご報告いたします。
ご精読ありがとうございました。
【都筑郡衙(長者原遺跡)】〒225-0014 神奈川県横浜市青葉区荏田西2丁目8−1
【茅ヶ崎杉山神社】〒224-0032 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央57
【鶴見川流域最上流の杉山神社】〒206-0823 東京都稲城市平尾4丁目45−6