マイナー・史跡巡り: マイナー史跡
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マイナー・史跡巡り
訪問した史跡を繋いでいくと物語になります。
点・点とある史跡が、このBlogにより結ばれ、史跡巡りが楽しくなって頂ければ幸いです。
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日曜日
家康の大樹② ~大樹寺の椎~
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①今川館もあったとされる駿府城 今川義元のお膝元・駿府(今の静岡市)で、人質として育てられた家康。14歳で元服し、幼名・竹千代から、松平元信(もとのぶ)と名を改めます。(写真①) 今川義元や、今川家の軍師・雪斎は、元信の知見の広さ、優秀さを認めながらも、その能力を今川家のために...
土曜日
家康の大樹① ~若宮八幡宮の大楠~
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今回から少し家康の生涯とそれにまつわる名木を描いてみたいと思います。 来年は「どうする家康」と題した大河ドラマも始まることですし(笑)。 是非、大河ドラマの前に本シリーズをご覧になり、ここに出てくる史跡や名木を見て廻って頂ければ幸いです。 1.雪斎による安祥城攻略と人質交換 さて...
日曜日
頼朝杉⑭ ~挙兵準備~
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さて、八重姫の失敗を思い出した安達盛長(あだちもりなが)の話は前回で終わり、話を元に戻します。安達盛長は伊東祐親(すけちか)のような伊豆の有力豪族を頼朝支援に取り込もうとしたのですが、結局失敗に終わりました。当時の伊東祐親は、動員兵力数は約300騎、対する北条時政は約30騎程度、...
頼朝杉⑥ ~文覚と頼朝~
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文覚は、 後白河法皇に持論を論破され、落ち込むところを描きました。その後、法皇は、側近の藤原光能(みつよし)に、 文覚に密命を伝えるよう 申し付けました。そして 、光能は源 頼政(よりまさ)を呼び出します。 今回のお話は、光能・頼政が平家政権の問題を文覚に説明し、頼朝の挙兵説得を...
頼朝杉⑤ ~伊豆の文覚~
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文覚(もんがく)に話を戻します。 京都・神護寺への勧請を、後白河天皇に強く迫ったことで、伊豆に流されることとなった文覚。 流刑地を伊豆に決定したのは、源 頼政(よりまさ)の差配が入ったことは間違いなさそうです。勿論、それは源 頼朝がすでに13年前から伊豆に流されていたことが重要...
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