マイナー・史跡巡り: いなげや④ ~富士の巻狩り㊥~ -->

土曜日

いなげや④ ~富士の巻狩り㊥~

曾我兄弟の仇討ちは、忠臣蔵などと並び、日本の三大仇討ちの1つとされ、江戸時代の歌舞伎等でも盛んに上演されたようです。(絵①
①親の仇・工藤祐経を追い詰める曾我兄弟
歌川広重 作

ただ、この仇討ちの裏には、かなり政治的な駆け引きも含まれているようです。

表に見える歴史は常にその時代の権力者によって書かれるものですから、裏の話の証拠は何も残りません。
ですので、場合によっては、史実に反しない範囲で推測しながら、この裏の物語を進めさせていただければと存じます。

1.今までのあらすじ
※詳細は「いなげや①」「いなげや②」「いなげや③」をご笑覧ください。(記事一覧にもあります。)

稲毛三郎重成(しげなり:以下、三郎)の妻・綾子は、多摩川の南側にあり、鎌倉の第1防衛拠点である枡形城で、病に伏せるようになりました。彼女は、頼朝が討伐した奥州藤原軍の亡者たちが、多摩川を越え枡形城へ押し寄せようとしているのが見えるのです。 1189年、奥州合戦から帰国した三郎は、衰弱した綾子を診た今若(義経の兄)と会って話しを聞きます。

今若は、病気の原因を見破り、綾子の命を亡者たちから助けているのが、江の島の弁財天であると予想しました。そして今若は、綾子の状況について綾子の父・北条時政(ときまさ:以下、時政)に伝え、弁財天に話しを聞きに行くよう書状にて勧めたとの事でした。

 1190年、江の島を訪れた時政に、弁財天は、鎌倉の鬼門から来襲する奥州の亡者裏鬼門から来襲する平家の亡者の話をし、これらから綾子や鎌倉自体を守るには生贄が必要であることを伝えます。これを聞いた時政は、実質的な鎌倉幕府の政権運営をしたいと考えていた矢先であったことから、何か策を練り始めました。

1192年、頼朝が上洛をした時に、時政は上洛に同伴した三郎と、三郎の従兄弟・畠山重忠(しげただ:以下、重忠)に胸の内を打ち明けます。時政の策謀に当初は戸惑う二人でしたが、綾子を助けたい三郎は時政に同調、重忠もしぶしぶですが同調することとなるのでした。

さて、翌1193年頼朝が征夷大将軍に任命されると、時政は、頼朝に軍事的示威行動の一つとして「富士の巻狩り」を富士の山麓で大規模に行うよう献策します。(写真②
実は時政、この巻狩りにて頼朝を亡き者にしようという計画をもっているのです。それは自分が烏帽子親となった曾我五郎時致(ときむね:以下、曾我五郎)とその兄・曾我十郎祐成(すけなり:以下、曾我十郎)を使うというものでした。

2.音止の滝

③曾我五郎が気配を覚られぬように
近くの岩場に身を潜めた轟音の滝
(音止の滝)
曾我兄弟が仇討ちを決行した1193年5月28日は、既に1ヶ月間、千にもなる武者たちが富士の裾野で狩りを続けた最終日の夜でした。

武者たちは、現在の地名・朝霧高原白糸の滝辺りから南側1.5kmの狩宿地区までの間で、自分たちが沢山獲物を倒した場所の近くに、数十箇所に分かれてそれぞれ陣を張るのです。(下記地図⑪参照

そして飲めや歌えのドンちゃん騒ぎ、今日の獲物をつるして火に掛け、ワイルドに肉を頬張りながら酒宴をするという盛り上がりようでした。

あちこちの陣で酒宴が盛り上がる中、轟音が鳴る滝の近くの岩陰に弟・曾我五郎が身を潜めています。(写真③

日中、狩りの間は勢子(せこ)に化けて、この巻狩りの舞台に潜入し、仇である工藤祐経(すけつね:以下、祐経)を探し続けた曾我兄弟。広い朝霧高原の中、夕刻頃になってやっと祐経を見つけ出します。

祐経発見後、兄弟2人で追跡をするには目立ちます。第一、弟・曾我五郎は、6年前、頼朝が箱根権現を参拝した時に、随参した祐経を付け狙うのです。この時は、曾我五郎は幼かったので、仇討ちどころか、逆に祐経に諭されるという失態をします(笑)。つまり曾我五郎は、祐経に面が割れているのです。

なので、曾我五郎は足音等、気配を消すことがしやすい、轟音の滝の近くで待機し、祐経は、兄・曾我十郎追跡し、仇討ち決行時刻が近づいたら、待機する五郎を呼びに戻るという手筈を2人で決めていたのです。

そんな兄弟2人の行動を、巻狩りをしながら、横目で追っている武者が居ました。
④白糸の滝

畠山重忠です。

重忠、三郎の2人は、時政から巻狩りでの策謀計画を聞かされた後、これに参加し、曾我兄弟の動静は重忠が、頼朝の動静は三郎が裏から把握し、必要な指示を時政に仰ぎ、フォローすることになっているのです。曾我兄弟にはこの事は知らせていません。

◆ ◇ ◆ ◇

さて、亥(い)の刻を廻った頃(夜10時頃)、曾我十郎が戻ってきました。

⑤音止の滝の上部は隘路となっています
「工藤祐経が所属する武者たちの宴会場は、この近く、白糸の滝の上部辺りの場所だ。武者も皆、ぐでんぐでんに酔っぱらっている。予定通り仇討ちを決行しよう。(写真④

ただ、直近まで、この近くにいた頼朝は、予想よりも早く切り上げ、ここから半里程離れている狩宿の寝所(写真②)に戻ってしまった。」

ということを、十郎は五郎に伝えようとします。
しかし、写真③の滝の近くであるため、十郎の声は聞き取りづらく、五郎も何度も聞き直す次第。

⑥音止の滝の看板にも、同じ
ようなことが書かれています
流石に落差25mもあるこの滝の消音効果は、人の気配を消すのにも便利ですが、反面会話が成り立たないというのは当然のことでしょう。

しかし、討ち入り前の曽我兄弟は、こんな些細なことでも、大聲で話し、聞き返すを繰り返しているうちに、心が苛立ち、「心無い滝だ!」と憤慨するのです。

それをなんとは無しに、端(はた)で聞いていた畠山重忠。
「なんだ、そんなくだらないことで取り乱すな、兄弟。」と独り言を呟きます。

そして、彼らの滝の上部に行くと、今回の巻狩りで勢子が獲物が逃げられないように丸太で作った柵を幾つか見つけ、それらを次々と川(芝川)へ放り込みます。
ご存知のように重忠は、源平合戦・鵯越(ひよどりごえ)の時、一の谷の超急坂を馬が可哀想だからと背負って降りた名将ですから、丸太放り込みなぞ、朝飯前なのです。(この辺りは、拙著Blogのこちらをご笑覧ください。)

この滝の上部の川幅は意外と狭く、丸太で出来た柵は岩と岩の間に上手く止まってくれます。そして水を堰き止めはじめるのです。(写真⑤

次の瞬間、滝の瀑布音がかなり小さくなりました。

勿論、曽我兄弟はこれに気が付き、「我々の願いが神に届いた。神のご加護だ!」とお互いのイライラ感が払拭され、幸先の良さを感じるのでした。

曾我十郎からの祐経と頼朝の現在位置の情報共有に加え、彼らは祐経襲撃の相談をします。

そして、幾ら宴会場の他の武者が酔っ払っているとは言え、宴会場への乱入を2人で決行するには、20人近くも居る武者の中では返り討ちにあう可能性が高いと考えます。

なので、もう暫くすれば祐経も、頼朝の宿のある狩宿地区写真②)に戻ろうとするであろうから、その道筋で待ち伏せをしようということになりました。

これを手短に決めた直後、滝はまた爆音を再開します。重忠の流した柵が水量に耐えきれず決壊しただけのことなのですが、曽我兄弟には、これから仇討ちをする自分たちに味方をする神の手助けに感じるのでした。

これらの経緯から、この滝は「音止の滝」と言う名前で有名になっています。(写真⑥

3.工藤祐経への仇討ち

音止の滝で、祐経待伏せ計画を立てた曾我兄弟は、この滝からわずか120mしか離れていない岩陰に移動し、祐経を待ちます。(写真⑦


ここから約1.5km程離れた頼朝ら武者たちの狩宿がある地区への間道が、この岩陰の前を通っています。(写真⑧
待つこと約半刻(1時間)。雨が降り出しました。

流石に盛り上がっていた宴会も雨によってお開きとなったのでしょう。
ついに現れました。

松明を持って、赤ら顔となった工藤祐経が。

なんと隣に遊女も従えています。

「あいや、待たれよ!!」
⑨工藤祐経の墓

と岩陰から飛び出した兄弟2人。咄嗟の事で祐経は動揺、尻もちをつき、遊女は「キャー」と言って何処かに逃げてしまいます。


祐経ににじり寄る兄弟、2人はこの瞬間を想像し、仇討ち前にそれぞれ次の歌を箱根権現に奉納しているのです。

ちはやぶる 神の誓ひの違はずは 親の敵に 逢ふ瀬結ばん」曾我十郎祐成

天くだり 塵に交はる甲斐あれば 明日は敵に 逢ふ瀬結ばん」曾我五郎時致

刀を握ったものの、腰が抜けて立てない祐経に、一言「親の仇!いざ」と十郎が声を

掛け、2人で刃を振り下ろすのでした。(写真⑨絵①も参照

◆ ◇ ◆ ◇

見事に工藤祐経を討ち果たした曾我兄弟。
しかしこれで全てが完了した訳ではありません。兄弟は、すぐさま間道狩宿地区へ走り始めます。(地図⑪参照

ところが、雨で宴会場から退散をして来たのは祐経だけではありませんでした。
どうやら、祐経はこの狩宿へ引き返す武者達に先んじて遊女と消えようとしたらしく、この仇討ちのわずか5分足らずの間に、後から続いてきた武者たちが、兄弟が立ち去ったばかりの現場で、血だらけで倒れている祐経を見つけます。


この中の武者の1人、新田四郎忠常(にったしろうただつね:以下、新田四郎)が、持っていた竹筒の水を瀕死の祐経に与え、抱き起します。末期(まつご)の水を飲み、力尽きようとする祐経。誰にやられたのかと叫ぶ新田四郎に、祐経は間道の先を指さし、こと切れるのです。

⑩新田四郎忠常は、この巻狩りの最中に
暴れの大猪を逆さに乗り仕留めた豪傑
としても有名(右の貴人が頼朝)
「まだ遠くには行っていない!」そう予測した新田四郎は、間道を走り出します。(絵⑩参照

他の武者も皆、これに従い、走り出すと、狩宿地区へ向かう曾我兄弟に直ぐに追いつくのでした。

あっという間に曾我兄弟は武者たちに取り囲まれてしまいました。


10人程は居るでしょうか。背中合わせにこれら囲まれた武者たちと対峙する曾我兄弟。

兄の十郎は五郎に囁きます。

「俺が血路を開く!お前は急ぎ頼朝のところへ!」


4.時政の曾我兄弟説得

「分かった兄者。後で会おうぞ!」

この五郎の言葉が終るか終わらないかのうちに、十郎は新田四郎目掛けて、「やーっ!」と飛び掛かります。十郎の急襲に、新田四郎は十郎の刀を受け、周囲の武者たちも十郎から新田四郎を守ろうとすると、包囲網が崩れました。

その隙に、五郎は飛び出し間道から少し外れ、雨の暗闇の中、狩宿地区の頼朝の寝所に向い全速力で走り続けます。(地図⑪参照

⑪曾我兄弟の仇討ちルート
もう無我夢中です。真っ暗な雨の中、間道からも外れ、やみくもに方向も分からずに走っています。

「あっ!」

気が付くと篠突く雨の中、五郎は泥の中に倒れていました。きっと泥濘に足を取られそのままどこかの斜面を滑り落ちたのでしょう。もうどっちがどこかも真っ暗で分かりません。

「ああ、兄者もきっとやられただろうな。」
「もう兄弟で本懐を遂げたから、これで終わりでも良いかな。」と思う曾我五郎。


しかし、この仇討ちをする前に、烏帽子親である北条時政に曾我兄弟は呼び出され、今回の巻狩りの計画を教えて貰い、仇討ちをする良い機会であることを伝えられた日のことを思い出しました。

◆ ◇ ◆ ◇

「お主らが仇討ちをしたいと思う心意気、この時政充分に分かる。そして是非、
烏帽子親としてお主らの力になりたいとも考えている。」
「ただな、お主ら、本懐を遂げた後の事まで含めて充分に検討しておるのか?工藤祐経は頼朝公の立派な御家人、いくら仇討ちだと言っても、それは頼朝公に刃を向けたことと同じじゃ。」

「勿論、覚悟はできてございます。」と曾我五郎。

「お主たちは本懐を遂げたら断罪(打ち首)も仕方が無いと考えるのは分かる。しかしな。曾我家はどうなる?お主らの母親、それから育て親となってくれた曾我家当主。これら御恩のある方々も断罪となるのだぞ!」

曾我兄弟は、唇を噛みしめて下を向きます。彼らの母親は、彼らに仇討ちを思い止まって貰おうと思い、一時説得されかけた時もあったのです。母親も自分のことより、曾我の継父の恩を何よりも尊いものと感じていたからこそ、説得してきたことが、その時痛いほど良く分かったのです。
その時は「母上、大丈夫。我々はとうに仇討ちなぞ諦めております。」と嘘を言うことでなんとか切り抜けたのでした。

⑫倒れた五郎から見た間道付近の木々
(現:曾我兄弟の墓の上)
「・・・」
「では、一つだけわしに考えがある。絶対に他言無用じゃ。よいか。」
「はい。」
「見事工藤祐経を討ち果たした後、速やかに頼朝公を討つのじゃ!」
「な、なんと・・・」

「よいか。巻狩りは武者たちが武装して狩りをする、いわば軍事演習場のようなところじゃ。鎌倉よりはるかに、頼朝公に武装したまま謁見できる環境なのじゃ。頼朝公亡き後は、わしが執権として全ての行政・司法を牛耳る。なので、この謀(はかりごと)が成就した暁には、曾我家は不問に付すことを保証する。」
「・・・」

◆ ◇ ◆ ◇

シュルシュルシュルと空を切る音が聞こえたと思うと、五郎の横に松明(たいまつ)が煌々と光を放ち転がっていました。見ると松脂(まつやに)も十分に塗布してあるのです。

「誰だ!」

咄嗟に起き上がり、身構える五郎。しかし、誰も居ません。
松明が投げ込まれた方向かと思い、目を向けると、そちらに僅かな獣道があることが分かります。辿って行けばまた間道に出るかも知れません。


⑬狩宿地区への間道(現曾我兄弟墓前)
「また神のご加護か?」

松明で上空を見上げると木々の陰影がまるで「五郎急げ!」と言っているように感じました。(写真⑫

気を取り直した五郎は、「そうだ、最後までやらねば!」とまた、獣道を走り出します。


その木立の陰に、隠れて曾我五郎を見守る重忠の姿がありました。

曾我五郎は、松明を照らしながら
獣道をしばらく行くと、間道に出ました。(写真⑬

ここから頼朝の宿は直ぐ目と鼻の先であることに五郎は気づき、足袋の紐を結び直して、再び走り出すのでした。(絵⑭

《つづく》

5.おわりに


⑭雨の中間道を急ぐ曾我五郎
(國史畫帖『大和櫻』より)
また、最後までお読み頂き、本当にありがとうございます。

曾我兄弟の仇討ちは、色々な説や人情話が入り混じり、それらは大概江戸時代の歌舞伎公演での大好評も相まって、原型が分からない程になっているようです。

たとえば、絵①を見て頂くと分かると思うのですが、通説では工藤祐経の寝所に押し入り、遊女と寝ている祐経を叩き起こして首を刎ねるとなっています。
ただその場合、私が現地に行って見て来た音止の滝や隠れ岩、祐経のお墓、狩宿地区等の地理的な位置、そもそも隠れ岩の必然性等が説明つかないと感じたので、私が現場の位置関係等から想定して作話しました。

このように史実と現地に行って感じたことを組み合わせてフィクションとしている箇所もありますので、その点はご容赦願います。

次回、狩宿地区の頼朝公を狙う曾我五郎はどうなるのか、お楽しみに。