いきなり狭い道路沿いのなんの変哲もないところに、大きなこの灯篭が出てくるのですが、幕末にこの辺りのお女中さんが、江戸の薩摩藩邸に奉公した後、維新になってこの灯篭を貰い受けたとのことです。
でも誰がどこから運んだのでしょうか?
お女中さんには、こんな重いモノ運べるわけありません。
誰か野郎が大八車を引いてきたのでしょうね。当時薩摩藩邸は、三田と渋谷区青山当たりにもあったようなので、どっちから?
なんとなく、国道246号線が近いので、青山の渋谷屋敷の方から持ってきたのかなとも思いますが...
浄土真宗本願寺派の静涼山覚永寺については、この灯篭の直ぐ近くにあるかと思いきや、かなり奥まった箇所にありました。
「たった一言が人の心を傷つける。たった一言が人の心を温める。」
浄土真宗の金言でしょうか。参道入口の掲示板にありました。
参道を登ると、そこに典型的なお寺があると想像していた私達は、どこにもそれらしい建物が無いので、あちこち探し回り、同じ参道を登ってきた人に、「どこがお寺でしょうか?」とお伺いしたところ、写真の建物がそうだと目の前の建物を指差されました。
かなり近代的な建物のお寺ですが、正面3つ扉の横のガラスから中を覗くと、仏具が整然と並べられていました。
このお寺は、見かけによらず歴史は古く、織田信長の本願寺攻め(今の大阪城があったところに、石山本願寺という浄土真宗寺院があった。)の際に寺側に味方した武士によって、武州赤坂一ツ木に文録3年(1594年)に創建されたそうです。
太平洋戦争で赤坂のお寺は焼失したそうですが、阿弥陀本尊は焼け残り、この近代的な本殿の中にあるようです。
さて、帰りは、このお寺のある丘陵が、梅や桃の綺麗な田園風景を提供してくれる場所なので、ゆっくりと見物しながら散策しました。
この時期まだ桃には早いですが、梅は写真のように8分咲きとなっておりました。また桃の季節にも散策して写真を撮りますね。
それでは今回はこの当たりで失礼します。