マイナー・史跡巡り: お江の位牌① ~満願寺~ -->

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お江の位牌① ~満願寺~


【※写真はクリックすると拡大します。】


マイナー史跡という題名に相応しくないかなと思いつつ、今週はあの大河ドラマ「お江」と私が住んでいる場所が意外な関係で結ばれているというお話をさせてください。

 さて、写真は私の住んでいる美しが丘西の郵便局の風景印です。この絵の中にある右側の灯篭は、前回このブログで取り上げた「覚永寺」の中にある灯篭です。


左側の仏像は?


これは自治会館もある保木薬師堂にある薬師如来坐像です。由緒あるもので、鎌倉時代は承久の乱の頃の1221年に作られ、県指定重要文化財だそうです。


現在は、神奈川県立歴史博物館に保管されて1年に1度、9月12日に写真の保木薬師堂に戻されるそうです。

薬師堂の話が長くなりましたが、このお堂は現在、住職等はおらず、あざみ野駅の近くの満願寺というお寺の境外仏堂ということになっています。平たく言えば、満願寺の一部ということです。

そこで今日はこの満願寺本殿の方に足を延ばしてみました。


あざみ野駅の近くにある満願寺は、徳川家の菩提寺である増上寺と深い関係があるお寺です。

このあたりは、増上寺の裏鬼門に当たるとされ、江戸幕府にとって重要な寺とされたようです。

は?裏鬼門って何?

調べてみると、鬼門って良く言いますが、鬼門(北東)・裏鬼門(南西)は、鬼が出入りする方角だそうで、風水的に忌み嫌われるのだそうです。

そこで寺院等を建てます。

ちなみに江戸城の鬼門にあたるところに上野の寛永寺が、裏鬼門に増上寺があります。



そのため、このあたり一帯は、増上寺の寺社領とされたようです。増上寺はこの寺社領が田舎だったからでしょうか?「山内(さんだい)」と呼んでいたそうで、私の娘が通っている「山内中学校」等の呼び名の語源になっております。

また、特に増上寺関係からか、二代将軍秀忠との関係が深く、その正室であったお江(お江与の方)の化粧料地であったとのことだそうです。

ということで、満願寺には、徳川秀忠とお江の位牌があります。

左の写真がそれです。


◎台徳院殿→徳川秀忠公のご位牌名
◎崇源院殿→お江の方

です。

左の写真は、満願寺の檀家の方が持っていらしたものを複写させていただきました。



その檀家の方から色々とお江の方や三代将軍家光の出生にまつわる興味深い話をお伺いしましたので、また後日、お江の化粧料地の取材と合わせてご報告させていただきたいと思います。

あと、満願寺にも、ちゃんと写真のようにお江の大河ドラマのポスターが何か所か貼ってありました。

観光客増えたかな?
それではまた。


【保木薬師堂】 神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目7−2
【満願寺】神奈川県横浜市青葉区あざみ野4丁目27−6