なので、今回は少し、基本に戻りたいと思います。
たまプラーザは牧だった? |
5年前に、青葉区は美しが丘西に引っ越してきた当時、まだ私の家の前には空地がかなり開けていました。
横浜の分水嶺なので、南側は横浜方面に、北側は多摩川方面の斜面になっていて、特に、南側の斜面は、「昔、牧(牧場)だったのではないのかな?」と直感的に思いました。
びっくりしたのは、そう考えてから一週間以内に、なんと我が家の前を馬が歩いているのです。馬車まで引いて、白い綺麗な馬でした。
どこか大きな公園や動物園なら兎も角、このような住宅街になんで馬が・・・
「やっぱり、最近まで牧場だったのか!」
と思って、調べましたところ、近所の動物病院の院長が馬のオーナーで、東京の成城あたりの大学の乗馬部に馬を預けているようでした。その馬を時々動物病院に連れてきては、我が家の前も含めて、お散歩コースとして走らせているようです。
右上の写真は、他の方のブログからお借りして来ましたが、景色から判断すると我が家から100m程離れた場所で撮影されたようです。走っているのは、対向車線含め、4車線の大通りです。
驚神社入り口 |
どうです?優雅な馬車でしょう?横浜はたまプラーザです。見世物ではありません。
1.本当に牧があった我が家周辺
前振りが長くなりましたが、本物の馬闊歩の話は、過去の牧の存在を想像した私には、本当にビックリするような出来事だったのです。
なんとなく地形から適当に牧があるのでは?と想像していたのですが、この馬の出現で、牧が本当にここにあった可能性が大きいとの妄想に駆り立てられました。
また、関東が名馬の産地で、それが東国武士台頭の原動力であった事からも、もしかしたら牧があったのかなとの確信を強めました。
早速本当に牧があったのかどうか調べると、これまた驚いたことに、本当にあったのです。
そこで、今回の本命、「驚神社」です。(驚いてばかりいるから、驚神社と、ギャグ飛ばしている訳ではございません。)
鎌倉時代(以前?)から、結構最近(昭和14年)まで、右の地図の広大な範囲が、「石川牧」という馬の牧場でした。この牧場の総鎮守として、この「驚神社」が建てられたようです。
下の地図は境内にあった神社にまつわる文献の土地名から私が作成
石川牧 の想定範囲 |
では、何故「驚」と言うのでしょうか?
この「驚」という漢字は、上下分解すると「敬馬」、つまり「馬を敬う」と書きます。つまり驚くべきあて字ですが、牧の鎮守らしい名前の付け方なのです。
2.超名馬の生産地
さて、この我が家もその土地に入っていた「石川牧」、元々東国武士台頭の屋台骨である騎馬生産状況としてはどうだったのでしょうか?
調べると、源頼朝の名馬(磨墨:するすみ)と畠山重忠の名馬(三日月)を、この石川牧から献上しているという言い伝えがあるようです。源氏の中でもトップの名馬2頭ですよ!まさか、この石川牧が東国武士の騎馬エリート生産地?
しかし、磨墨は、大田区馬込の辺りとか、駿河の国の名馬とか、香取の名馬であるとか、諸説あるようです。まあ頼朝の名馬ですからね。伝説もあっちこっちから引き合いがあるでしょう。
畠山重忠の馬担ぎ像 |
私としては、頼朝の磨墨より、畠山重忠の三日月が、この石川牧を走っていた。自分の家の辺りを上の白馬と同じように闊歩していたと想像すると、ワクワクします。
3.畠山重忠の鵯越
昔小学生の頃に、鵯越の逆落としの話を、学研の「科学と学習」での漫画付特集で読んだ覚えがあります。
その漫画の中で、義経が鹿が鵯越をしていくのを見て、「鹿も四足!馬も四足!」と一声掛けて、その崖を下って行く姿に「かっこいい!」と思う反面、畠山重忠が、「馬が可愛そうだ。背負って行こう。」と言って、自分より大きな馬を背負って崖を下る姿も、豪傑らしく、これまた「かっこいい!」と思ったものです。また、馬を労わる優しさに感動した面もあります。
そう、その背負われた馬が、三日月なのです。あの有名な話の馬だと思うと、何かこの石川牧の一部であったこの場所までが、時代を超えて凄く身近に感じられます。左上の写真は、畠山重忠公史跡公園の畠山重忠像です。やはり三日月を背負っていますね。
彼の鎌倉の屋敷跡は、私が中学生になる位まで、ずっと草茫々の空き地だったので、「あれ?畠山重忠さんの屋敷は鎌倉時代に無くなった後、ずっと空地なのかな?」と勘違いしていた記憶もあり、かなり親しみを持っています。
マンションの裏にある驚神社 |
4.馬を敬う
こんな有名武将の名馬を出した伝統ある石川牧の総鎮守である「驚神社」も、残念ながら、現代では、やはりマイナー史跡であるようです。(関係者の方、ごめんなさい。)
普段は、あまり訪れる人も少なく、周りにはマンション等が迫っています。
たまプラーザやあざみ野の住宅街の開発に、昔の牧の面影が見られない土地にある神社としては、そういう運命なのかもしれません。
ただ、私が、最初この土地に引っ越してきた時に、「昔、牧だったのではないのかな?」と直感的に思わされたりしたことや、本物の馬が住宅街を闊歩するのも、もしかしたら鎌倉時代の太古からの馬の霊が、私たちに働きかけているのかもしれませんね。
車社会などで、馬を敬わなくなった現代人へのアラームかも?なんて。
9月の蝉がやかましく鳴く境内の中、参拝者が私たちしか居ない静けさに、そんな懐古的な事を想像しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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【驚神社】神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目