マイナー・史跡巡り: 鍋島松濤公園 -->

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鍋島松濤公園

渋谷駅の直ぐ近くに静かな日本庭園風の公園があるのをご存じでしょうか?
鍋島松濤公園と言います。(写真①
ここは、かつて紀伊徳川家下屋敷があった場所なのです。

1.江戸大名屋敷について

下屋敷とは何でしょうか?

調べますと、御三家を含む、大名の在府期間(参勤交代で、殿様が江戸に居る期間)中、江戸城付近にあって、登城も含め、公務に一番活用するのが上屋敷。(絵②
隠居された殿様等、ちょっと政治から遠のいた人達等が居る中屋敷。(写真③
勿論江戸城からは、上屋敷よりも多少離れています。


③熊本藩(熊本県)中屋敷(白金)
そして、下屋敷は、藩から上京してきた書生や家来が常時は活用。また、当時江戸は火事が多かったため、それらがあった場合の退避場所としての役割も果たしていました。また、中屋敷が無い藩もありましたので、その場合は隠居された殿様等は下屋敷を使う場合もあったようです。

江戸時代は、現在の渋谷は、今の地方的な扱いだったのですね。
全て基本歩きの時代ですから、江戸城から歩けばかなり距離はありますよね。

さて、脱線しましたが、その紀州徳川家の下屋敷、明治維新と共に御三家も規模縮小を余儀なくされます。

そして、明治9年に佐賀の鍋島家に売却します。

2.鍋島閑叟(かんそう)公

幕末の鍋島藩(佐賀県)と言えば、西洋技術を先進的に取り込んで藩政を先進的なものにした鍋島閑叟こと鍋島直正がいます。(写真④
④鍋島閑叟(直正)

閑叟は、西洋学を熱心に勉強し、薩摩の島津斉彬公と並んで、幕末の名君と言われた人物です。西洋学により、以下の3つを成しています。

(1)西洋学の中から、経済学を学び、佐賀藩の財政を立て直しました。
(2)天然痘の種痘を長男に打ち、その効果を確認、当時、適塾は緒方洪庵と交流があったようです。
(3)日本で初めての反射炉を製造。また、この反射炉により鋳造した蒸気機関の釜から、日本で初の実用的な蒸気船を造ることに成功しました。

日本初の蒸気船は島津斉彬公が先に作りましたが、釜の設計が上手く行かず、蒸気漏れが激しく馬力に欠けるため、実用的な蒸気船は閑叟が造った船が最初となります。
(この辺り、拙著Blog「Tsure-Tsure:ヘダ号 小話① 蒸気船」をご参照ください。(リンクはこちら

ただ、惜しむらくは、薩摩・長州のように倒幕運動に積極的に参加せず「佐賀の妖怪」と畏怖されながらも、政治の表舞台での活躍が少なかったため、鍋島藩は、後の明治政府の中核とはならなかったわけです。

佐賀の乱の江藤新平等の有力者を輩出はしましたが。

松濤公園にあった紀州下屋敷を買い取った当時の鍋島藩主は息子の直大でしたが、この閑叟のお蔭で、財政難から脱出していたことが、この購入に役に立ったのではないでしょうか?


3.松濤園と茶

その後、この公園一帯を茶畑にし、狭山茶を移植して、「松濤園」として売り出していました。まさに今の松濤公園の水車のある当たりの湧水で、この松濤園の茶を淹れていた訳です。

今は有名な静岡のお茶ですが、明治初期まであまり有名ではありませんでした。

当時、倒れた徳川幕府の旧家臣、所謂「旗本」を、静岡に集めたは良いのですが、食べさせる手段が無かった訳です。何といっても、「旗本百万騎」(当時はそんなには居なかったでしょうが)、それだけの元武士を食べさせるのは大変です。

そこで皆静岡で何をやったかというと「お茶作り」なのですね。静岡茶はそれで有名になっていくのです。(写真⑤
⑤夕日に照らされ、金色に輝く静岡の茶畑(牧ノ原台地:「諏訪原城敷地内」

松濤園の茶が、紀州徳川の敷地で栽培されたことについて、それらの影響があるかどうかは分かりません。

ただ、明治もしばらくすると、鉄道網が整えられます。そしてこれらの静岡茶が、この鉄道によって東京にもたらされると、松濤園の茶は衰退しました。松濤園のゆかりから、この辺りを「松濤」と呼ぶようになったのです。

茶が振るわなくなった明治末期は、「鍋島農場」ということで、果樹園や牧場だったようです。当時の渋谷は、かなり田舎だったのでしょうね。あの唱歌「春の小川」が、多分この当時の渋谷川を歌ったものなのですから。
そして、関東大震災の移住者向けに住宅を分譲しはじめ、今の松濤地区の高級住宅街となった訳です。

4.おわりに

湧水地のある今の公園の場所は当時侯爵となっていた鍋島侯爵邸でしたが、戦後の華族制廃止により、公園となりました。

そういう経緯のある公園ですが、周囲の高級住宅街は渋谷から5分の範囲にあるのに、閑静で、素晴らしい邸宅ばかりです。

東京都知事公館も、ここにあります。(写真⑥

ちなみに、安倍首相のお住まいも、松濤からちょっと北側へ行った富ヶ谷という場所にあり、常に警察が警備しています。

松濤地区を富ヶ谷方面へ歩いていて、面白い標識を見つけました。(写真⑦
渋谷とは雰囲気の全く違う高級住宅街でも、やはり渋谷ハチ公の影響下にあるのですね。
もしかしたら、この辺りをハチ公が本当に歩いていたのかな?

そんなことを想像しながら、職場のある富ヶ谷方面へ急ぐ私でした。
お付き合い頂き、ありがとうございました。

【鍋島松濤公園】東京都渋谷区 松濤2丁目10-7