①頼朝の寝所へ向かう曾我五郎 (画・月岡芳年) |
1189年、稲毛三郎重成(しげなり:以下、三郎)の妻・綾子は、多摩川の南側にある枡形城で、病に伏せるようになりました。彼女は、頼朝が討伐した奥州藤原軍の亡者たちが、多摩川を越え枡形城へ押し寄せようとしているのが見えるのです。綾子の命を亡者たちから助けているのが、江の島の弁財天であると看破した今若(義経の兄)は、綾子の父である北条時政(ときまさ:以下、時政)に、弁財天に話しを聞きに行くよう勧めます。
1190年、江の島を訪れた時政に、弁財天は、鎌倉の鬼門から来襲する奥州の亡者、裏鬼門から来襲する平家の亡者の話をし、これらから綾子や鎌倉自体を守るには生贄が必要と伝えます。これを聞いた時政は、実質的な鎌倉幕府の政権運営をしたいと考えていた矢先でもあり、策を練り始めました。
1192年、頼朝が上洛をした時に、時政は上洛に同伴した三郎と、三郎の従兄弟・畠山重忠(しげただ:以下、重忠)に胸の内を打ち明けます。時政の策謀に当初は戸惑う二人でしたが、綾子を助けたい三郎は時政に同調、重忠もしぶしぶですが同意します。
翌1193年、時政は征夷大将軍に任命された頼朝に、軍事的示威行動として「富士の巻狩り」を行うよう献策します。彼は、この巻狩りにて頼朝を亡き者にしようという計画をもっているのです。それは自分が烏帽子親となった曾我五郎時致(ときむね:以下、曾我五郎)とその兄・曾我十郎祐成(すけなり:以下、曾我十郎)を使うというものでした。
重忠の支援もあって、仇である工藤祐経(くどうすけつね)を、富士山麓の朝霧高原にて討ち取ることが出来た二人ですが、直後に頼朝刺殺に向かう彼らを、新田四郎ら屈強の武者たちが取り囲みます。このピンチに対し、兄・曾我十郎が血路を開き、弟・曾我五郎が雨の降る夜中の間道を一人急ぎ、頼朝の寝所へ向かうのでした。(絵①)
【今迄の話 リンク集】
いなげや① ~稲毛三郎と枡形城~
いなげや② ~弁財天~
いなげや③ ~富士の巻狩り㊤~
いなげや④ ~富士の巻狩り㊥~
1.狩宿地区
雨の中の暗い森を抜けると、暗い中にも視界が開けた感覚が分かり、遠方にわずかながらの明かりが見えます。
頼朝の本陣のある狩宿地区です。夜中でも門の前でかがり火を燃やしているのです。(写真②)
②狩宿の下馬の桜前のかがり火 (右奥に見えるのが頼朝の宿所) |
曾我五郎は持っている松明の火を消し、大きく肩を動かし深呼吸をすると、そのかがり火に向かって、そろそろと進みます。
既に時刻は子の刻(夜中の12時)を廻っています。かがり火のところに門番は見当たりません。よしっ!とばかりに、門の中へささっと曾我五郎は滑り込みます。
敷地内は農家を改造したらしくそれなりの広さがあります。どこかで笑い声がします。門番も含め、この敷地内のどこかで宴会が続いているのかもしれません。
実は曾我五郎は事前にこの屋敷のどこに頼朝が居るのかのレクチャーを時政から受けているのです。彼はその時見せてもらった屋敷図を反芻し、「こっちだ!」とずんずんと歩き出します。
2.五郎丸の機転
頼朝の寝所らしい母屋に辿り着きました。(写真③)
③狩宿の頼朝宿所 と言われているが・・・実際は江戸期の建物(笑) |
その時、「ちゅうし~ん、ご注進!」と門の外から大きな声が聞こえ、松明の灯が、この狩宿の敷地内に入ってくるのが分かりました。
「すわッ、もう追手が来たか!」
慌てた曾我五郎、さっと刀を抜き放ち、母屋の縁側に飛び乗りました。
「あっ!」
なんと、そこには宴会で酔っているのでしょう。白の壺装束(つぼしょうぞく)を着た女性が、正体なくその縁側に寝そべっていたのです。
「女、いねい!!(立ち去れ)」
これから修羅場になるこの場所に居ること自体、女性にはかわいそうです。
「ひいい~」
と及び腰で逃げようとする女。(絵④)
「南無三!」と五郎が、頼朝が寝所に飛び込もうとした瞬間。後ろから抱き着いてくるものがいました。(絵⑤)
⑤背後からむんずと抱き着かれる曾我五郎 (画・月岡芳年) |
「何奴!?」
曾我五郎が振りほどこうとしても、ものすごい馬鹿力です。
「ぬし!さっきの女かあ!」
そう言った曾我五郎は、女
の力なぞ!と振り払おうとしますが、振り払えません。
代わりに、ハラりと白の壺装束が縁側に落ちると、なんと男!
「女だと見せかけて油断させたな!卑怯!」
と叫びながら、曾我五郎は刀で彼を切ろうとします。
しかし、むんずと抱き着いたこの男、後ろから怪力で離しません。
揉み合っているうちに、注進者と、この屋敷の頼朝の家来がこの場に到着し、あっという間に曾我五郎は皆に取り押さえられてしまいました。
「む、無念!」
雨の降りしきる中、後ろ手を縛られた曾我五郎。
捕まった彼の前に現れたのは、この一部始終を陰から見ていた畠山重忠。
重忠は曾我五郎を捕縛した武者たちにねぎらいの言葉を掛けた後、何も知らないたまたま現場に居合わせた武将として、五郎に話しかけるのです。
「これは、なんの狼藉か?」
「・・・。」
「答えなければ、即打ち首だがよいか。」
「明日・・・」
「ん?」
「明日、頼朝公の前で全てを話させてください。お願いします!」
重忠は無言で曾我五郎を門外のかがり火の横に連行します。そこには、この騒ぎで、宴会から持ち場に戻った門番がおり、重忠は門番に命令します。(写真⑥)
⑥門の外のかがり火の横に一晩捕縛されていた五郎 ちょうどこの写真を撮った位置に捕縛されていた? |
「よいか、明日の朝まで、こいつをこの門の外で見張っておれ。こいつが、変な事をしようものなら、直ぐにこの畠山重忠へ連絡せい!」
◆ ◇ ◆ ◇
この曾我五郎が女と勘違いした男、五郎丸と言います。
そう、あのラグビーでも有名になった五郎丸のご先祖かどうかは分かりませんが、85人力と揶揄される程の怪力男なのです。
ところが、そのような怪力の持ち主にも係わらず、色白で華奢、牛若丸(義経)が女装が似合ったのと同様に、若干18歳の五郎丸も女装が似合う方でした。
そこで、この巻狩り最後の日の頼朝屋敷での宴会では、五郎丸は女装して仲間とふざけあっているうちに、ついふらふらと母屋の縁がわで女装のまま寝込んでいたのでした。
この女装が、曾我五郎を油断させました。五郎丸は外から「注進!注進!」と来る騒ぎで、この頼朝の寝所に入ろうとする曾我五郎が怪しい者と咄嗟に思いつき、組み付いたのです。
⑦ねぶた祭りの曾我五郎(左)と五郎丸(右) 富士の巻狩りなのでしっかり富士山も見えます(笑) |
3.重忠と時政の対応
さて曾我五郎を門番に預けた重忠は、その足で直ぐに時政の宿所へ向かいます。
そして、就寝直後の時政を叩き起こさせ、対面するや否や
「おやじ(義父)殿、失敗じゃ!」と切りだします。
それを寝ぼけ眼で聞いた時政は、驚きもせず
「そうか、そうか失敗か。」
「おやじ殿!曾我兄弟は、工藤祐経の仇討ちは見事成功しましたぞ!
しかしその後、他の武者たちに取り囲まれ、兄・曾我十郎は新田四郎殿により斬殺され、一人頼朝公の所に向かった弟・曾我五郎は、先ほど頼朝公寝所直前で、五郎丸に捕まり、捕縛されました。おやじ殿、重忠は明日、曾我五郎の助命嘆願を頼朝公にするつもりです!」
「おお、そうかそうか、夜分大儀であった。重忠も、はよ寝なさい。」
「おやじ殿!!」
失敗した頼朝暗殺計画が曾我五郎から漏れる可能性もあるというのに、全然動じない時政に憤慨しながら立ち去る重忠でした。
重忠が出て行った後、しばらく一人ぼーっとしているように見えた時政が、控えている近習に言います。その顔は先程の重忠に見せたおとぼけ顔ではなく、謀略家としての険しい顔でした。
「三郎を呼べ。」
4.頼朝の裁き
翌朝、曾我五郎と五郎丸が組み合った縁側に床几を立て座る頼朝の前に、後ろ手を縛られた曾我五郎が引っ立てられ、庭に正座させられます。
「曾我五郎時致、顔を上げよ。」
と言う声は、頼朝の左側に座る時政。曾我五郎は時政を一瞥し、頼朝の表情を見ました。
何の表情も現れておらず、何を考えているのか全く見通せません。権力者というのはこのように表情を押し殺すものなのかと曾我五郎は思いました。
「その方昨晩、兄・十郎祐成と共謀し、御家人・工藤祐経を斬殺。その後1里離れたこの頼朝公の寝所に乱入しようとした儀、何が目的か?」
と大音声で述べる時政。曾我五郎は「ふっ」と一瞬苦笑いを浮かべます。しかし、「全て知っているくせに・・・。」とは言いません。当初から時政とは、失敗して斬首となろうとも決して時政との密約は口外しない約束になっていたのです。時政も曾我五郎が義理堅いのは良く分かっていましたから、烏帽子親として、周囲の武者(御家人)からあらぬ疑いを持たれるようにと、にわかにこの問いただし役をかって出たのです。
「私は、先に伊豆国にて、工藤祐経に殺された河津祐泰(すけやす)の次男です。~云々~」
と今回の仇討ちの経緯を、時政との関係以外は全て話します。
「では、何故仇討ちの後、頼朝公の寝所へ立ち入ろうとしたのじゃ!」と時政。
「はっ、なるほど工藤祐経は、にっくき親の仇。仇討ちするのに一点の迷いもございりませぬ。しかし、祐経殿とて立派な頼朝公の御家人。その御家人を討つということは、まさしく頼朝公に対して弓を引くと同じ事。なので我々兄弟も斬首は逃れられないと覚悟は決めてございました。ただ、我々兄弟のこの仇討ちに対する赤心、御家人の頂点に立つ頼朝公にはご理解頂いた上で死にたいと考えましたので、寝所にて直に頼朝公に全てをお話しした暁には、自害する覚悟でした!」
時政との頼朝暗殺の密談があったにせよ、五郎の本心はこちらだったのかも知れません。
この時、仏頂面だった頼朝公の顔が少しだけ明るくなったように見えた曾我五郎の耳に、重忠の言葉が飛び込んできました。
「曾我兄弟、あっぱれ!親の仇をとるために、十数年間に渡る艱難辛苦を経て成就するとは!武士の鏡じゃ!」
⑧静岡県伊東市は、現在も八重姫 への思い入れが強いようです |
確かに、皆「祐」という諱(いみな)が入っていますね。皆縁戚なのです。
伊東祐親の名前を出されると、頼朝は伊豆流刑中に最初の女となった伊東祐親の娘・八重姫を思いだします。(絵⑧)
それはさておき、確かにこれ程の忠義者、伊東の荘を与え、御家人として抱える方が良いかもしれない・・・。
そう心が動いた頼朝は、「では、・・・・」と言いかけたところで、まだ年端も行かぬ童子が庭に入って来ました。そして曾我五郎の前にしゃがむと
「父上を殺しちゃったの?」
「・・・」
「どうして、父上は優しい人だよ。どうして?どうして殺しちゃったの?」
目にいっぱいの涙が溜まっています。
頼朝公は童子に縁側から声を掛けます。「犬房丸、下がりなさい。」
そう、犬房丸は工藤祐経の息子なのです。
「いやだ!父上を返せ!父上を返せ!」と犬房丸は泣きじゃくり始めました。
⑨曾我神社 ※狩宿の頼朝宿舎の近くにあります |
◆ ◇ ◆ ◇
静かになったこの庭で、頼朝公がゆっくりと話し始めました。
「曾我五郎時致、そちたち兄弟の仇討ち、余も感心した。長い間、兄弟の人生を掛け、父親のために忠義を尽くしてきたとは。重忠の言にもあったように、ここに居並ぶ御家人たちも余と同じ気持ちであろう。」
「しかし、今、犬房丸を見て思う。もし、ここでそちを赦せば、犬房丸は父・工藤祐親の仇を討とうと、そちを狙うかもしれぬ。」
頼朝公は、自分や義経を赦した平清盛のことを思い出していました。ある意味、清盛は優し過ぎたのだ。それが故に、大きな意味での仇討ちを自分は行い、平家は滅ぼされてしまった。温情に流されてはいけない。これをモットーに今迄心を鬼にして幕府を立ち上げて来たではないか・・・と。
「怒りの連鎖はどこかで絶たねばならない。曾我五郎時致、斬首と致す!よいな!」
「はっ!」
5.転んでもタダでは起きない時政
少し時間を遡らせます。
時政は、重忠が夜中に密会しに来た直後、稲毛三郎を呼びます。
実は、重忠が今回の仇討ち計画の曾我兄弟の後押しをする役割を与えていた時政は、同じく巻狩りに参加している稲毛三郎には、失敗時の対応を課していました。
「三郎、これから至急鎌倉へ早馬で駆けつけ、工藤祐経の遺児・犬房丸を、明日の朝までに、ここへ連れて参れ!」
「はっ、直ちに!」
「あと、鎌倉に着いたら、頼朝公が危なかったと、四囲の者に伝えよ。」
大体、朝霧高原から鎌倉までの片道が100㎞、早馬だと時速40~50kmですので、約往復5時間、明日の朝辰の刻(午前8時)には、曾我五郎の申し開きが始まりますので、あと7時間もありません。三郎は急ぎます。
夜中の3時半過ぎに、鎌倉の工藤家へ到着した三郎は、時間も無いので「工藤祐経殿が仇討ちにより討たれた。ついては犬房丸をお父君のところにお連れしたい。」
家人たちは、「えっ、どうしてそんなところに犬房丸さまをお連れするのですか?」
時間が無いため、きちんとした説明も時政から受けておらず面倒になった三郎は、
「頼朝公が討たれそうになったのだ!」とちょっと頓珍漢な事を言います。家人は訳も分かりませんが、頼朝公が討たれるという重大な言葉が出たので、さっと寝ていた犬房丸を三郎に引き渡し、再び馬上の人となった三郎は犬房丸を抱えて、また狩宿へと馬を走らせるのです。
そして、あのタイミングで犬房丸を曾我五郎の前に出し、頼朝公の考えを変えたという訳なのです。
⑩狩野地区にある曾我兄弟のお墓 |
その話は次回します。時政は、頼朝暗殺こそ失敗しましたが、転んでもタダでは起きないのですね。この曾我事件で、また一人、源家の政敵を亡き者にするのですから(笑)。
脱線しますが、この犬房丸、先に述べました富士川の戦いで戦死した伊藤祐親の後を継ぎ、伊東の荘を引き継ぐ立派な武将に成長します。
6.おわりに
如何でしたでしょうか?曾我兄弟の仇討ちを上手く利用しようとした時政の策謀は、五郎丸の機転により失敗に終わりました。
勿論このお話は、頼朝暗殺を前提に組み立てられていますので、黒幕を時政として仕立て、重忠や主人公の三郎等の行動は、脚色もあります。
⑪朝霧高原の木立の中 何度も曾我兄弟のお墓に 呼ばれている錯覚を起こ しました(笑)。 |
◆ ◇ ◆ ◇
曾我兄弟が純粋に父親の仇を討ちたかった事実は、時政が後押しをしていようがいまいが関係は無かったのでしょう。
工藤祐経を討ち果たした後、親戚縁者に類が及ぶことも無かったようです。時政らが骨を折ったのでしょうか?
狩宿地区の頼朝の宿所近くにある曾我兄弟のお墓。(写真⑩)
心なしか、このお墓の2人良く並んで満足気なように、私には見えました(笑)。
そして、朝霧高原の木立の中のこのお墓から立ち去ろうとすると、不思議なことに曾我兄弟から声を掛けられているような気がして、何度も何度も振り返りました。(写真⑪)
ちゃんと描いてくれよなと言われているような・・・(笑)。
長文、ご精読ありがとうございました。上記内容には一部フィクションが入り混じっておりますのでご了解ください。