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火曜日

頼朝杉⑪ ~八重姫 その2~

大番役として京へ出向く伊東祐親(すけちか)へ現地の雑説(情報)を入れて欲しいと息子の伊東祐清(すけきよ)から依頼された頼朝。安達盛長と祐親の館(現在の伊東市)に到着する直前、音無神社の森で頼朝らを迎えに来た祐親や妹たちに会います。
その妹の中でも、一番の器量良しの八重姫に頼朝は一目惚れします。

即、頼朝は八重姫にアプローチします。館に招かれたその日の夕暮れに音無神社で待つと八重姫の耳元で囁くのです。

咄嗟のことに八重姫は戸惑います。しかし夕刻、八重姫は頼朝が音無神社に居ないでくれと願いながらも、音無神社に向かうのでした。

今回は、この続きからです。

1.音無神社

音無神社のある伊東は非常に温暖な地であり、東南アジア等に多く植生するというタブの木が境内に沢山あるのです。

この地がいかに温かく過ごしやすい土地なのかを示しています。(360度写真①)

①音無神社境内(360度写真)

ここで頼朝は既に半刻も前からじっとしておりました。

近くの松川から飛んでくる蛍の光は宵に向かうにつれ、その数を徐々に増していき、頼朝の横を通り過ぎて、タブの大木の元へと飛んでいくのです。

それはまるで、このタブの大木が、太古の昔から蛍の逢瀬の場所のような、そんな幻想的な景色でした。

頼朝はタブの幹に近づき、蛍が集まる場所をのぞき込んでいました。
小さな蛍が、沢山と幹の洞(うろ)の中に集まっています。(写真②)
②音無神社のタブの木の洞と蛍光

ふと背後に
気配を感じた頼朝が振り向くと八重姫がいました。少し離れたところで、頼朝の方に近づいてくるわけでもなく、所在無く立っています。

「こっちに来て!」

頼朝は笑顔で八重姫に話しかけます。彼女は頼朝の顔を真っすぐに見ようとはしません。

ただ、おずおずとタブの幹の前の頼朝の横に来て、しゃがみこむのです。

先ほど、ここに来るまでは、積極的に声を掛けてくる頼朝に対し、気恥ずかしいやら、なれなれしくて嫌だなとかいろいろな感情が複雑に入り乱れていました。音無神社で待っているなんて冗談であってほしいと願いながらも、家人たちに嘘をついてまでここまで来てしまった自分が良く分からない八重姫でした。
③音無神社での出会い
(音無神社展示絵)

「ここにね。沢山蛍が集まっているでしょう。ほら、ここにパッ、パッと光を放つ蛍がいる、これがオスです。で、多分、こっちのジッとしているのがメス。見ててください。」
「ほら!今、メスのお尻が1回だけ弱く光ったのが見えましたか?これオスの求愛を受け入れたっていう意思表示なんですよ。」
「あ、こっちも今何回か光りました。お相手は・・・。こいつかな?あ、尻が光ました。受け入れたんですね!」

としゃべり続ける頼朝。八重は洞の光に照らし出された頼朝の横顔を見ることができるようになったのは、もっと大人のアプローチをしてくるのかと思った頼朝が、既に20代後半にしてまるで少年のように蛍の観察に熱中していることに安心したからなのです。

ー意外と純粋な方なのかしらー

松川の対岸にある田んぼから、蛙の合唱が先ほどよりひと際大きくなり、それが夏の夜の到来を感じます。

「ずっと離さない・・・」
④積極的にアプローチする頼朝
(音無神社展示絵)

ーえっ!ー

八重はハッとして頼朝の顔を見上げますが、彼はまだ、先ほどの蛍を見つめています。

グォー、グォー

急に自分たちの足元で牛の鳴き声のような低い響き声がしました。

「あははは!」

雰囲気が一気にそのユーモラスな声で崩れました。ヒキガエルの鳴き声にビックリする八重姫。大笑いする頼朝。

「さて、これからの夜の宴です。祐親殿が準備してくださっています。戻らねば。今日は、ここに来てくれてありがとうございます。」

八重は一気に緊張が溶けると同時に、少し物足りないような、自分でも良く分からない感情のわだかまりみたいなものを感じます。

「蛍はね。私の住んでいる狩野川の流域にも沢山いるんです。私は好きで、毎年彼らを観察しているのですよ。でね。こうやって交尾を始めると、雄は雌を朝まで離さないんです。」

ーさっき「離さない」と言いかけたのは、この蛍のことだったのー

八重は段々気恥ずかしくなってきました。自分ばかりが何か変な事ばかり早合点していたのかと。

「明日もまたここで待っています。」

「・・・」

このお方、なんのためにここで私を待つのだろう?

2.北の御所
⑤「北の御所」推定地域等

翌日も八重はまた葛藤します。待っていると言っても、何をするわけでもなく蛍談義をされるだけ?あの人いつまでこの伊東にいらっしゃるのかしら?なんか密かに音無神社に行くみたいで家人に見つかったら恥ずかしい。どうしよう。行こうか、やめようか。

結局、またそっと館を抜け出して八重姫は音無神社へ向かいます。

この日、頼朝は嬉しそうに八重姫に話をしたのは、祐親殿が自分を気に入ってくれ、是非この伊東の地にしばらく逗留して欲しいと言われたとの話でした。

祐親の大番役の役務開始は、3か月後なのですが、祐親は頼朝と話をしているうちに、早めて1か月以内に出発することにしました。

というのは、頼朝はある助言を祐親にしたのです。

京に大番役で行くなら、お役目開始より早い時期から貴族たちと交友を深め、周旋活動をしておいた方が良い官位獲得の可能性が開けるとアドバイスをしました。

当時、地方の武士たちは京の院や天皇、摂関家等の警護役である大番役に赴くことの見返りに官位を貰い在庁官人として、朝廷や有力貴族らの権威をバックにすることができるというギブテクがあったのです。

そのため、役についてから、あまり目立ったことをするより、役務期間に入る前に賂(まいない)含め色々と気遣いをした方が良いだろうと、頼朝が伝えると

「流石は佐殿。上西門院殿の蔵人(くろうど)だったことはある。」

と祐親は感心してしまい、早々に京へ発つ準備をするので、その間、伊東に滞在して、細々した諸雑に関し教えて欲しいということになったという話でした。
⑥「北の御所」は伊東駅周辺?

一応、頼朝は貴人ではあるものの、流刑人であることから、監視役とは離れて暮らす習わしがあるのです。ですので、祐親は祐親の館とは谷を挟んで対面にある離れの館を頼朝に当てがいます。

ここが、現在の伊東市の北側斜面にあたる(祐親の館は南斜面)ため、「北の御所」と呼ばれるようになるのです。

現在、北の御所の場所は特定されておりませんが、伊東駅周辺だったのではないか?またはそれより少し山側へ上がった松月院のあたりではないか?等の伝承があります。(地図⑤)

◆ ◇ ◆ ◇

私も現地に行って、「北の御所」の推定場所の辺りを見て廻りました。(写真⑥)

地図⑤の点線に囲まれた辺りなのですが、伊東駅より少し北側斜面を上がったところにある松月院。(写真⑦)

⑦松月院からの眺め
音無神社や伊東祐親の館のあった物見塚公園方面も良く見える場所です。

この寺院もかつては伊東駅の方にあったということなので、もしかしたらやはり御所自体はもう少し標高が低い現在の市街地に近いところにあったのかもしれません。

いずれにせよ、伊豆蛭ヶ小島も北条時政の館から少し離れたところにあり、館のすぐ近くの守山から頼朝の館が監視できたのと同様に、「北の御所」も伊東祐親の館から少し離れた場所で、かつ監視しやすいところにあったのではないかと松月院からの景色を見ながら私は思いました。

3.日暮(八幡)神社

こうやって、連続して頼朝と八重姫は音無神社で日暮れになると会い、段々と少しづつ自身の話や日常を話していくことで、心を開きあうのです。

最初は、頼朝に会うことに非常に抵抗を感じていた八重姫も、彼と何度も会ううちに、単に自分が異性を過剰に意識していただけと思うようになりました。

今は、松川からの川風に吹かれながら、夏の夜を音無神社のタブの木の幹に腰かけて頼朝と話をするのが楽しい。頼朝も同じようです。

ただ、時々祐親から呼び出されて、相談に行く頼朝は、段々と自分の北の御所まで戻らなくなりました。

音無神社のすぐ西隣、田んぼの中に小さな社がありました。そこに馬を繋ぎ、中で日が暮れるまで待つのです。

⑧日暮神社
そして、この社で日暮れを待つという慣習は、伊東祐親が京に向かって出発すると殆ど毎日のこととなりました。

いつしか、土地の人は、この名前も無かった社を、頼朝が日暮れの八重姫との音無神社での逢瀬を楽しむために待機していた場所であることから

日暮神社(日暮八幡神社)

と呼ぶようになったのです。(写真⑧)

4.八重姫の懐妊

しかし、男女のことは、心開きあえば開きあう程、接近するのは古今東西変わりません。

伊東祐親が京に大番役として上った後も、祐親が頼朝に「佐殿は、このまま幾らでも、この伊東にご逗留くださって結構です。北の御所は私が留守中も使ってくださって結構。」と云われたことから、逗留し続けます。

夜になると音無神社で八重姫と逢瀬を重ねる日々。(写真⑨)
⑨松川の脇にある音無の森(音無神社)

何日も頼朝が通いつづける様子は、まるで蛍のオスが何度も何度も光をメスに向けて点滅させるのに似ています。そしてとうとう八重姫もメスの蛍のように、一度限りの光の点滅・受け入れ了解の意思表示をするのです。

その後、頼朝蛍は八重姫蛍を長いこと離しませんでした。

◆ ◇ ◆ ◇

日暮れを、近くの日暮神社で幾ら人目を忍んで待機しようと、人の多くないこの地方のことですから、噂は直ぐに人々の間を駆け巡ります。

安達盛長はこの時、時々伊豆の北条の里から、この北の御所を訪ね、頼朝から近況を聞き、北条時政や函南に住む比企尼(ひきあま)に状況を報告していました。(図⑩参照)

比企尼は自分の思惑通りのこの状況を殊の外喜んでいます。
思惑とは

①頼朝殿が伊東祐親という伊豆の実力者に気に入られ、その娘を妻とすることで後ろ盾を得る。

⑩頼朝と八重姫を巡る人たち(再掲)
②妻ができることで、安達盛長の妻・丹後内侍(たんごないし)に余計なちょっかいを出さなくなる。

の2つです。

ただ、実はこの時、北条一族は、このことを面白く感じてはいませんでした。

幾ら流刑人であると言っても、頼朝は源氏の正統な嫡男です。かれが一時的だろうとはいえ、伊東祐親の元にいってしまい、その土地が気に入ること自体、いい気はしません。

殊に、北条一族の長・時政の息子・小四郎(後の義時)が一番気にしていましたが、当時の彼はまだ13歳。伊東家の姫様方にかわいがってもらった過去の経験から、八重姫を頼朝公に取られてしまったことに嫉妬してのことだろうと、周りは噂をしておりました。

そうこうするうちに、1年経ちました。

するとどうでしょう。八重姫は頼朝の子供を宿しているのです。

5.千鶴丸誕生

生まれた子供は、男の子で千鶴丸と名付けられました。(絵⑪)

⑪千鶴丸の誕生
(音無神社展示絵)
無事出産できたのは、この前回も出てきた八重姫の兄・祐清(すけきよ)が全面的に頼朝と八重姫の仲を取り持ち、支援してきたおかげです。

頼朝、初めての子供です。かわいくて仕方がありません。

しかも男の子。比企尼の作戦でいけば、この子の祖父となる伊東祐親に頼朝の支援を頼み、後ろ盾をしっかりしたいところです。

ところが、この時、小四郎こと後の北条義時が、何故かそうはさせじと画策します。彼は伊東祐親と交代で大番役に京へ出向く父・時政に一言お願いをするのです。

伊東祐親が大番役として京へ行ってから、早いもので3年が経とうとしていました。

長くなりましたので、続きは次回。ご精読ありがとうございました。

                               《続く》

【音無神社】〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13
【物見塚公園(伊東祐親館跡)】〒414-0046 静岡県伊東市大原2丁目80−1
【松月院】〒414-0002 静岡県伊東市湯川377
【日暮(八幡)神社】〒414-0013 静岡県伊東市桜木町1丁目2−10


月曜日

頼朝杉⑩ ~八重姫 その1~

 前回、院宣を頼朝に渡した文覚。頼朝は文覚に一人の従者を紹介します。

安達盛長(あだち もりなが)です。

①八重姫
今回は、この盛長の伊豆での過去の活動の1つ、八重姫に関するエピソードをお話ししたいと思います。(写真①)

1.比丘尼の策略

頼朝の乳母である比企尼(ひきあま)は、一時、伊豆に流された頼朝の近く、函南の大竹地区に庵を結んで住んでいました。頼朝の乳母であったことから、13歳の頼朝が伊豆に流される時には、それまでいた京の都を立ち去り、出身である武蔵国・比企のに里帰りしていたのです。そして比企の里から時々伊豆の大竹の庵にやってきては、頼朝に実家の私財から作った金子(きんす)等を渡すことで、頼朝をバックアップしていたのです。

やはり乳母として頼朝が心配だったからでしょうか。いえいえそれだけでは無いのです。

当時、乳母は重要なポストで、この役をなす一族は、乳母が育てる子供が政権を取った時に非常に力を持つこととなっていました。

比企一族を代表している。比企一族の将来の繁栄のため、頼朝殿を流刑人止まりで終わらせてなるものか。

比企尼を駆り立てていたのは、この一族繁栄のためだったのです。

◆ ◇ ◆ ◇

比企尼には3人の美人娘がおりました。長女は丹後内侍(たんごないし)と言って、それはそれは比企尼も自慢の美人で教養高い娘でした。母である比企尼の話を良く聞き、常に慎ましやかな女性だったようです。(図②)

②頼朝と八重姫を巡る人たち

丹後内侍はこの安達盛長の妻となります。ただし、彼女は初婚ではありません。

初婚は惟宗広言(これむね の ひろこと)という歌人で、丹後内侍自身も「無双の歌人」と言われた程の方なので、教養高い歌で繋がりを持ったということですね。

惟宗(島津)忠久という嫡男を産むのですが、広言の子供ではなく、頼朝と通じていたことにより生まれたという説があります。この忠久が薩摩・島津家の祖であることから、島津家の始祖は頼朝という説は結構有名です。

更には、この安達盛長との間にできた子・景盛も、実は頼朝の落胤であるという説もあるのです。

どちらも説ではありますが、頼朝が丹後内侍に子を産ませた話が、2つもあることから、少なくとも頼朝が丹後内侍に異性として興味を持っていた可能性はかなり高そうです。

そうなると比企尼はやはりいろいろと心配になるはず。

まず噂のある娘を貰ってくれた安達盛長に申し訳がない。

そこで比企尼は、頼朝を丹後内侍以外の女性に目を向けるように画策するのです。

ー伊豆にいる頼朝の周辺に良い女子(おなご)はおらんかー

③伊豆・函南の高源寺にある
比企尼の供養塔
早速、伊豆は伊東市の豪族・伊東祐親(すけちか)の次男・伊東祐清(すけきよ)に嫁いだ三女に「誰か見目麗しく頼朝殿が好みそうな女子はおらんかのぅ?」と相談します。

すると三女

「母上、あの方はどうかしら?夫・祐清殿の妹さん、八重姫と申す方、この上なく美人で清純な感じの方ですわ。」

ーそれだ!ー

と膝を叩く比企尼。先に申し上げましたように丹後内侍に興味を持つ頼朝にも困ったと思いつつ、比企尼は同時に優れた戦略家でもあったため、乳母として将来の頼朝の挙兵を戦略的にどう進めるべきか頭を悩ましていました。そして一つの結論として、やはり伊豆の豪族の娘を頼朝が妻として貰い、その豪族の後ろ盾で挙兵するしかない、と考えていたのです。

伊豆の豪族、これは在庁官人の伊東祐親、北条時政であり、この二人をターゲティングしていた比企尼としては、三女が持ってきた八重姫の話はまさに、この戦略にも合っているのです。(写真④)

2.伊東への遠駆け

早速、安達盛長に使いを出し、頼朝たちの住む伊豆蛭ヶ小島から2里離れた大竹(現在の函南駅近く)の比企尼の庵に呼び出します。

やってきた安達盛長に比企尼は言います。

「安達殿、先日、わが三女が旦那の伊東祐清殿とわらわのところに来られての。色々とわらわに京の様子等を聞きたがるのですじゃ。何故かって?どうやら祐清殿の御父上・祐親殿が今度大番役(おおばんやく 京の内裏や院御所の諸門の警固役)で京へ出仕されるとのこと。

ところが、わらわも佐殿(すけどの、頼朝のこと)がこちらの伊豆に流されるとほぼ同時期に武蔵の比企の里(埼玉県比企郡)に里帰りして以来十数年、京の雑説(情報)はとんと疎遠ですのじゃ。

④伊東一族館跡(物見塚公園)
にある伊東祐親像

ただ、わらわは、京にいる甥の三善(みよし)康信殿に、佐殿には京の雑説を常に入れるよう指示しておりますのじゃ。文が届いておりませんかの?安達殿。」

「三善殿から月に3回は文が届きますなあ。お義母様の差し金だったのですね。頼朝殿も『康信の文は大したものだ。入道相国(平清盛のこと)が何をしているのかが手に取るように分かる』と感心しておりました。」

「ですじゃろ?あの甥っ子は真面目ないい子じゃ。そこでな安達殿。一度、うちの三女が、安達殿と佐殿を伊東のお館にお招きしたいとのことですのじゃ。義父・伊東祐親殿へ佐殿からたっぷりと京の情勢をお聞きかせ頂きたいとのことですのじゃ。佐殿は遠駆けがお好きとのこと、是非一度伊東まで行かれるとよい。北条の里や奈古谷とは違った趣のある海と温泉のあるところとのこと。」

流刑人となった頼朝ですが、彼の自由行動範囲は在庁官人の北条時政の領分だけではなく、お隣の伊東祐親の領分も行き来できたようです。一説には頼朝が当初流されたのは、伊豆蛭ヶ小島ではなく、伊東祐親が領分、現在の伊東市だったという説もあるくらいです。

安達盛長がその話を、頼朝にすると直ぐに「よし伊東に遠駆けに行こう!」という話になりました。読経の毎日の中で、頼朝は馬に乗ることだけが唯一の楽しみと言っても過言ではなかったのです。

⑤滝知山から相模湾を臨む
頼朝の住む伊豆蛭ヶ小島から現在の伊東市にある伊東一族の屋敷まではざっと9里(36km)。

馬の遠駆けで半日はかかる行程ですが、北条時政の領分より遠方へ出かけられることに頼朝と盛長はいつもの遠駆けよりも解放感を感じていました。

函南とは「箱(函)根の南」という意味で、箱根火山の南側の外輪山を指します。そこを二人は東へ東へと馬を走らせます。ちょうど伊豆半島と本土との接合部分であり、細くくびれているので4里程行くと、朝日にきらめく相模湾を一望できる滝知山(たきちやま)という峠を越えます。(写真⑤)

「おお、相模湾だ!」

実は、この移動経路は、この後、頼朝が挙兵直後に、関東平野へ出て三浦一族と合流しようとして大庭軍とぶつかる石橋山合戦でも使われるルートです。伊豆山権現への往来等、頻繁に利用する道なのですが、この峠で見る景色(相模湾側と駿河湾側双方、更には富士山の眺望もすばらしい)は何度見ても頼朝は感心してしまうのです。

3.音無の森

現在の熱海の辺りで相模湾に出た二人は、そのまま海岸伝いに網代(あじろ)を通り、伊東へ馬を走らせます。

◆ ◇ ◆ ◇

伊東の丘の上(現在の物見塚公園)に、伊東祐親の館を視認できたので、一刻程(約2時間)馬を駆けさせた二人は、この手前の川(松川)で、愛馬に水をやり、身だしなみを整え、伊東祐清に会う準備をします。次回解説しますが、この辺りはのちに日暮八幡という小さな社ができ、頼朝との関係が深い場所となりました。

対岸に音無という土地があり、社(やしろ)の森となっていました。(写真⑥)

⑥松川の対岸にある音無の森
その森から時々笑い声が聞こえます。複数の女子のようです。鬱蒼と暗い社がパッと華やかな雰囲気となった感じがします。

ーなんだろう?ー

頼朝と盛長は、対岸の森を気にしながらも、水をたっぷり飲んで元気を取り戻した馬の手綱を引きながら、ゆっくりと松川の浅瀬を渡ります。そして、その森の横で再び馬に乗り、祐親の館へと向かおうとします。


とその時、

「これはこれは、佐殿と安達殿。遠路はるばる。そろそろ到着する頃かと思い、館の手前のこの橋でお待ちしておりました。妹たちと。」

と言って森から出てきた武士がいます。

「おお、祐清殿。お迎え痛み入ります。」

と盛長が馬から降り、挨拶を交わすと

⑦音無の森にある竹あかり
(蛍の光のように日中でも見える)
「お義兄様」と祐清の妻となっている盛長の義妹が、小袖姿で祐清の後ろから出てきたのに盛長は少々驚きました。もっと驚いたのが、更に三人、若い女性たちが同じ小袖姿で現れたことでした。

「あ、紹介します。こちら妹の松、さき、そして八重です。」

「安達盛長と申します。こちらが源氏の御曹司・頼朝殿です。」

「頼朝です。よろしく。」と紹介されて挨拶する頼朝が、三姉妹の中で一番可愛らしい八重に目がいくのが盛長にも祐清にも良く分かります。

ー全然隠し立てしない・・・流石は良いとこのお坊ちゃんだー

と思いましたが、盛長は

「して、これは賑やかなお迎えですなあ。」

「あ、実はこの松川は今の時期になると蛍が出るのです。普段、蛍は夜に飛びますが、この森は日中でも薄暗く蛍も夜と間違えてフラフラと飛ぶという噂がありましてな。私がお迎えに行くというと妻が、是非妹たちに一度それを見せてあげなさいというので連れてきたのですよ。」

と祐清は笑いながら答えます。(写真⑦)

4.音無神社

祐清夫婦・伊東一族の三姉妹と、頼朝・盛長の7人は、ワイのワイの打ち解けながら、一緒に祐親の館に向かいます。

⑧伊東祐親の館から伊東湊を臨む
この時も、頼朝は、姉妹3人に公平に接しているようで、ちゃんと八重姫には姫本人も気づかないようなモーションを掛けているのが、盛長には分かりました。

さて、祐親の館は伊東の湊が一望できる眺望の良い場所に建っています。(写真⑧)

勿論、有事の際には、周囲の敵情が分かりやすいという利点もありますし、先ほど渡ってきた松川を外堀とした防御砦としての機能を果たせるような場所を選んでいるのです。

「父上、佐殿が参りましたぞ!」

と屋敷の玄関先で祐清が奥に呼びかけます。

とその時、八重の近くにいた頼朝は、サッと小さな声で八重の耳元に呟きます。

「日が暮れましたら、先ほどの社で。」

◆ ◇ ◆ ◇

すぐに使用人が飛び出してきて馬を預かり、足を洗い、忙しく頼朝と盛長の世話を始めます。

「八重、八重!」

ふっと八重は意識が戻りました。祐清兄や頼朝らを玄関奥に見送った後、それぞれの部屋に戻ろうとしている姉たちが、八重がボーっと立っていたので心配したのです。

「あ、はい、八重も戻ります。」

ー困った!ー

部屋に戻ると八重は畳に突っ伏します。

ー日暮れ時ってあと二刻半!(3時間)ー
ーどうしよう!ー

貴公子然とした風貌、さすが京の精錬された世界で生きてきた高貴な出、およそこの辺りの東夷(あずまえびす)には見られない貴公子ぶりは、八重でなくても初見では、大方の女子が好印象を持ちます。

⑨音無神社
二刻半経ちました。外は夕暮れが終わりかけています。まだピクリともしないで突っ伏したままの八重姫。

にわかに起き上がると、縁側から庭に飛び出します。

「姫様!どちらへ?」

小走りに館を出ようとする八重姫を、薄暗くても見つけた侍女が後ろから叫びます。

⑩蛍の群生をイメージさせる音無神社の
竹あかり
(写真提供:伊東市観光課)
「ちょっと先ほどの音無神社に忘れ物をしました!取ってきます!」

この時代の深窓の令嬢である八重姫。これはかなり勇気のいる行動でした。

音無の森が近づくと八重姫の心臓はバクバクしてきました。

ーお願い!居ないで!ー

周囲には昼間少ししかいなかった蛍が、松川から群れを成して飛んできたのでしょうか。音無神社へ続く道は蛍の光で煌々としています。(写真⑩)

続きは次回とさせてください。

ご精読ありがとうございました。

《つづく》

【高源寺(比企尼供養塔)】〒419-0101 静岡県田方郡函南町桑原1265
【滝知山】〒413-0033 静岡県熱海市熱海
【物見塚公園】〒414-0046 静岡県伊東市大原2丁目80−1
【日暮八幡神社】〒414-0013 静岡県伊東市桜木町1丁目2−10
【音無神社】〒414-0032 静岡県伊東市音無町1−13