前回、平 将門と平 良文(よしふみ)の前に現れた妙見(北極星・北斗七星の神)が、この二人を支援して、坂東8か国を束ねるまでに発展させてくれたことを書きました。将門はこの坂東における栄華に、自らを「新皇」とし、中央政権に対抗しようとする姿勢を見せます。妙見はこれを驕慢とし、将門を離れ、平 良文の元へ。そこから8代後が、千葉常胤となり、名家・千葉一族は妙見を一族の神として深く信仰していくのです。
ここまでが前回のお話でした。
今回は、将門と、希代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)との関係についての伝承話をさせてください。
その前に、前回の最後に少し頭出しをさせて頂きました平 良文は平姓ですが、8代後の常胤は千葉姓に変わっていることについて考証してみましょう。
1.「羽衣の松」伝承
この伝承、千葉県庁前の松の木に由来があるようです。(写真①)
| ①千葉県庁前にある「羽衣の松」 |
| ③鳥取県東郷池にある羽衣天女 と北斗七星 |
つまり、想像すると、妻は「中原師直の娘」という貴族の娘で「天人」。「天人」の女性は「天女」なので、いつしか「中原師直の娘=京から来た女性=天女」ということで、この話を作った常将が帝に奏上したところ、「上手い!では千葉(せんよう)を下賜しよう。」とこれまた上手い返しを帝もしたのではないでしょうか。
そう思うと、天女の羽衣伝説から付いた「千葉」の伝承も、現実味があって面白いですよね。あと、実はこの羽衣伝承の話、平将門、良文から連綿と千葉一族まで続く、妙見信仰と無関係ではありません。
「この話を作った常将が帝に奏上」と言いましたが、日本全国にある「天女の羽衣」伝承で、最後、天女が空に帰っていくという場面がありますが、この天女は北斗七星から来たという伝承が殆どです。(写真③)
もしかしたら、平 将門の子々孫々は妙見信仰を固持していくという信念が作り出した伝承を常将は帝に伝えたかったのかもしれませんし、帝も、その裏にある一族の信仰を認めたればこそ、伝承とは分かっていながら、蓮の「千葉」を姓として下賜したのだとすれば、何と雅な大人の対応が千葉県の名前の由来にあったことになるのでしょう!
| ⑤安倍晴明と信太森の白狐 (安倍晴明神社) |
この良文、将門の嫡子・将国(まさくに)を護り、常陸国信太(しのだ)に落ち延びさせたという伝承があります。
一方、関西の方は良くご存じだと思うのですが、陰陽師で有名な安倍晴明の誕生には「信太の森の白狐」という伝承があります。(写真⑤)
この伝承を、簡単にご説明します。
◆ ◇ ◆ ◇
陰陽師の師匠が急病で亡くなります。となると、高弟の誰が陰陽師の奥義を継ぐのかの問題に巻き込まれる安倍保名(あべのやすな)。安倍晴明の父となる人です。
ところが、その奥義書が盗まれ、その失態の責を負った師匠の娘・「榊之前」という保名の恋人が自害してしまいます。悲観に暮れて和泉国信太森を彷徨していた保名。この森で狩人に追われていた白狐を庇い、自分は重傷を負いながらも、白狐を逃がすのです。
誰ぞに介抱されて目覚めると、そこにいたのは榊之前の妹「葛之葉姫」。彼女は姉にそっくりだったこともあり、保名はこの葛之葉姫と結婚し、息子が生まれます。これが後の安倍晴明。
| ⑥葛の葉姫(安倍晴明神社) |
幸せな日々を保名と葛之葉姫が過ごしていたある日、一人の女性が保名を訪ねてきます。その名は葛之葉姫。
「これはどうしたことか」と妻、つまり晴明の母親の方を保名が見ると、つい今しがたまでは若い女性の姿だったのが、そこには信太の森で助けた白狐の姿が・・・。
正体がバレてしまった白狐は、晴明を保名に託し、断腸の思いで信太の森へ帰って行ったというお話です。(写真⑥)
その際に、息子・晴明に書き残したという有名な歌があります。
「恋しくば 訪ねて来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」
意訳:母を恋しいとい思うのであれば、訪ねて来て欲しい。和泉国の信太の森にいる侘しい葛の葉である私を。
◆ ◇ ◆ ◇
これが「信太の森の白狐」の正統な伝承であり、江戸時代には近松門左衛門が浄瑠璃等にして、有名になりました。
実際私もこの森に足を運び、その雰囲気を感じてきました。(写真⑦)
| ⑧茨城県美浦村信太 |
そこで、異なる伝承が唱えられます。
「安倍晴明は和泉国ではなく常陸信太の出身で、実は平 将門の息子・将国であった。」
そして、晴明となった将国は、京に上り、花山天皇の信頼を得て、父・将門の夢であった東国に独立国を作ろうとしたというものです。花山天皇が17歳で即位し、19歳という短期間で退位するのも、晴明(将国)が東国にて花山天皇を立てようとしたという伝承です。
| ⑫常陸の国(茨城県)明野町猫島にある安倍晴明生誕の地 |
大阪天王寺あたりのにぎやかな界隈に比べると、常陸の国の生誕地はかなり静かなルーラルエリアになりますが、確かに、この広大な平地と筑波山、天文学や暦の知識を駆使する陰陽道の素養を養うには、ピッタリの場所に感じました。