1189年、稲毛三郎重成(以下、三郎)の妻・綾子は、多摩川の南側にある枡形城で、病に伏せるようになります。
源頼朝(以下、頼朝)が滅ぼした奥州藤原氏の亡者たちが原因であると江の島の弁財天から聞き出した綾子の父・北条時政(以下、時政)は、綾子や鎌倉の民の救済のための策を練ります。その策が「頼朝暗殺計画」。
時政は、1193年の「富士の巻狩り」にて、婿である三郎とその従兄弟の畠山重忠を説得し協力させることで、この計画を実行に移します。
この計画は、現在では有名となった曾我兄弟の仇討ちを利用するというものでした。仇討ちは成功しましたが、暗殺は、すんでのところで失敗に終わります。
そうこうするうちに、綾子は重態に陥ってしまいます。(1195年)
頼朝から駿馬を与えられた三郎は、綾子の最期を看取ることが出来ました。息を引き取る数刻前、綾子の手を握り続ける三郎は夢を見ます。それは亡者の側に居た綾子が多摩川を泳いで渡ろうとするのですが、弁財天の化身である大蛇が阻むというものでした。
稲毛入道と改名した三郎は、綾子の追善供養に生きることを決意します。
①八的ヶ原の頼朝公 義経遭遇地点 |
そして、弁財天に夢の解釈を聞くと、多摩川と相模川の2ヵ所に同時に橋を架けることを勧められます。鎌倉へ向かう亡者たちは、その鬼門である多摩川の狛江地区を渡ると、同時に裏鬼門の相模川河口付近に橋を架ければ、そこから西方浄土へ吸いだされ成仏することが出来るという理屈です。
早速、渡来人である治水の技術者集団である狛江人を動員し、三郎は橋を架ける事業を追善供養として手掛けます。
3年後、立派に出来上がった相模川の大橋の渡初式(落成式)、三郎は時政の奨めもあって、頼朝を招待します。
しかし頼朝が渡初めをする式中、乗馬していた神馬があばれ馬となってしまう珍事が発生し、馬は川へ飛び込んでしまいます。これが馬入橋の事始めです。
幸い頼朝は欄干に腰を打ち付けただけで、命に別条はありませんでした。
頼朝らは、鎌倉へ帰るのですが、その途中、八的ヶ原(現在の辻堂駅付近:写真①)で、義経などの奥州の亡者たちとすれ違い、またそれを目にした頼朝は何故か衰弱していくようです。
一方、馬が川へ飛び込んだ原因を、狛江人が持つ軍事技術の1つ馬止鏡を利用したものであることを突き止めた三郎は、この件の黒幕であろう時政の目を見て何かを悟ります。そして慌てて頼朝一行を追いかけるのです。
【今迄の話 リンク集】
いなげや① ~稲毛三郎と枡形城~
いなげや② ~弁財天~
いなげや③ ~富士の巻狩り㊤~
いなげや④ ~富士の巻狩り㊥~
いなげや⑤ ~富士の巻狩り㊦~
いなげや⑥ ~源範頼(のりより)~
いなげや⑦ ~綾子~
いなげや⑧ ~綾子の追善供養~
いなげや⑨ ~渡初式~
いなげや⑩ ~八的ヶ原~
1.最後の悪霊
三郎が、鎌倉へ帰る頼朝ら一行に追いついたのは稲村ヶ崎の一丁手前の七里ガ浜でした。
稲村ヶ崎の先はもう鎌倉です。
この浜は火山噴出物起源の粒子が多く黒っぽい砂浜なのです。なので、白い波頭が目立ち、東西に長い海岸線をより一層くっきりと浮かび上がらせます。
この浜から海を見渡すと、左側の稲村ヶ崎を介して鎌倉、西側には江の島が遠望することが出来ます。
鎌倉が見え、一行がほっとしているところに、三郎が馬上大声を上げて駆け寄ってきます。
②不思議な盛り上がりを見せる波(イメージ) |
「何事じゃ!三郎殿。」
「とにかく、浜を離れ内陸道へ!」
とやりとりをしている最中、頼朝の近習たちは、西日できらきら光る海面が江の島方面から不思議な盛り上がりを見せる1つの波を見つけました。(写真②)
「やや!」
不思議な水面の盛り上がりは、その水中の突起のような中にぼーっと光るものを内包しています。
皆は息を飲み、見てはいけない、見てはいけないと思いつつ、その光るものをじっと凝視してしまうのでした。
いつしか、光るものは水の突起の先で人の姿に変わっていきます。
ー子供?-
光るものは、目を瞑(つむ)った小さな童(わらべ)に姿を変えたのです。驚いた頼朝ら一行ですが、ただ息を飲みながら推移する事態を見守るしかなかったのです。
③頼朝の前に現れた安徳天皇(イメージ) |
すると、次の瞬間、童が目を開くと、真っ赤なウサギのような目をらんらんと光らせ、おかっぱ髪から、青白い光が茫々と発光され始めると、周囲の景色は先程の義経が現れた時と同じ薄黄色の景色と変わったのです。(絵③)
そして童は、頼朝をきっと睨むと
「頼朝、汝(なんじ)を恨み十数年。とうとう汝を見つけたぞ!」
その聲は、大人のものとも、子供のものとも判別しがたく、しかし、はっきりと三郎らの耳を打ちました。
ーこの童は誰だろう?ー
ー御所様に向かって何という無礼な振る舞いー
その瞬間、けたけたと童は声高く笑いながら言いました。
「よもや忘れたとは言わさせぬ。我こそは西の海の底に、汝によって沈まされた安徳天皇なるぞ!!」
ーひーっ!ー
と皆が仰け反り驚く中、三郎だけは叫びました。
「ああ、やはり遅かったか!」
2.落馬
彼は、渡初式が終った後、北条時政と目があった瞬間から、この事態を予感していました。
10年前時政が、娘・綾子を失いたくないばかりに、江の島の弁財天の教えを基に、頼朝殺害の計画を立てたことを知らされた三郎は、綾子のためと自分に言い聞かせ、この計画を支援し、畠山重忠と曾我兄弟の仇討ちを手伝うことにしたのです。
しかし、3年前に綾子が亡くなった今、その暗殺計画も必要無くなったと三郎は思い込んでいたのです。
先程、三郎が見た時政の目は、一瞬ですが、瞳が消え、真っ赤な怖ろしい「赤色眼」だったのです。今見た安徳天皇の眼と同じでした。それを視認した瞬間、義経の兄・今若の話を思い出したのです。
④奥州亡者と平家亡者の進行方向 |
「壇ノ浦合戦後に、漂流する骸や、網で攫って海底から引き揚げられた平家の血筋の者の骸皆、何故か目全体が完全なる赤色になっていると聞く。恨み、無念がそうさせたのだろうとの噂じゃ。」
-平家の目だ!そうだ!奥州の亡者だけでなく、平家の亡者も居るではないか。彼らは西から裏鬼門に入るに違いない。(図④)
先ほど馬が川に飛び込んだのも、単に馬止鏡を見ただけではなく、橋の上で西から渡ってくる平家の亡者に出会ったからに違いない。-
-義父・時政は元々平家の血筋、滅亡した平家の悪霊が憑いているのではないか?それら悪霊平家の狙いが御所様であれば、あの御方の亡者を出してくるに違いない!-
そう危惧した三郎は頼朝が海岸沿いを行くのを阻止しようとしたのですが、結果的に間に合いませんでした。
まさに今、その危惧は現実となったのです。この安徳天皇の亡者こそが、平家の永遠の頭として、源家の頭である頼朝を葬り去るにふさわしいのです。江の島弁財天と安徳天皇の霊は龍宮で繋がっており、先に弁財天が伝心したのはこの安徳天皇なのです。(写真⑤)
真っ赤な目を暗い空に爛々と光らせ立つ安徳天皇に、頼朝の馬も棹立ち(後ろ足だけで立つこと)となり、さすがの頼朝も意識を失い、大きく稲村ヶ崎の岩礁の上に体を投げだすのでした。
⑤上が弁財天の棲む江島神社 下が安徳天皇を祀った赤間神宮 両方とも同じ形の門(龍宮)を持つ |
◆ ◇ ◆ ◇
その落馬から約2週間、悪霊にでもとりつかれたかのように頼朝は昏睡状態が続き、1199年1月13日、真実を語らぬまま、息を引き取りました。享年53歳。
3.綾子
頼朝が落馬すると、また周囲の状況は元に戻り、安徳天皇の亡者の姿も最初から無かったかのように、静かな稲村ヶ崎周辺の夕刻の景色に戻りました。
これほど亡者と現世の境が乱れるとなると、やはり橋を架けたこと自体に重大な失陥があるようにも思われ、三郎はまた相模川の大橋の現場に戻らなければならないという焦燥感に駆られました。
近習らに頼朝の介抱と鎌倉護送を頼み、三郎は自分の馬の尻に鞭を当て、西の大橋に急ぎ向かいます。
今回の不始末の原因解明のためと自分で言い聞かせるのですが、正直何をすべきかは明確には分かっていません。三郎は自分がもしかしたら正常な判断力を失っているかもしれないと、急ぐ一方で感じていました。
相模川の夕暮れ時、東側の橋の袂にたどり着いた三郎は、夕焼けに黒く映える大橋を見上げます。
寒々とした中、渡る人も無く閑散とした橋に、何かやりきれないむなしさを感じた三郎は、ぼそっと呟きます。
「綾子のためにしたつもりが・・・。」
彼は先程来の焦燥感が、頼朝への惨い仕打ちになってしまったという失望感に変わっていくのを感じます。
彼はふらふらと、橋の西側の川岸の白砂に先ほど放り出した馬止鏡を回収して帰ろうと橋を渡り、土手を降りて行きました。
ちょうどこの夕刻は、凪に入る直前なのでしょう。川岸に最後の海風だと言わんばかりの、強い寒い風が吹きつけ、ゴーという音を周囲に撒き散らしています。それが一層、この人の居ない相模原の寂しさを強調し、三郎の失望感を煽るのでした。
陸揚げされている馬止鏡の羽根車も、この強風に煽られくるくると廻りだしました。
それを何気に見ていた三郎は、ふとその回転する羽根車の中に、橋の上を歩く多くの人が見えた気がしました。
ーおや?ー
と彼は、慌てて馬止鏡の羽根車を手で止めて、その銀粉をぬってある羽の一枚を鏡のようにして、橋の上を照らし出しました。
そこに写っているのは、夕日に鈍い色の反射を持つ橋の構造物以外、誰もいない寂しい橋があるばかりです。
ーなんだ気のせいか。疲れているのかな。ー
と思いなおし、羽根車から手を離しました。また羽根車は風で勢い良く回り出しました。
するとどうでしょう。やはり今度はくっきりと橋を渡る人たちが見えます。三郎が後ろを振り向いて、橋を見上げても誰も居ない筈の橋に、回転する羽根車には沢山の東から西へと渡っていく人たちが見えるのです。
ー奥州の亡者たち・・・?ー
あれだけの超常現象を経験している三郎はもう驚きません。馬止鏡が回転している時だけ、亡者たちの世界が鏡に映るのでしょう。
ーいや、もしかしたら渡初式で暴れ出した馬も羽根車に映し出された亡者たちを見て興奮したのかも知れない。まあ、今となってはどうでも良いが・・・-
とその時、橋の東端に差し掛かった一群の中にちらりと綾子らしき姿が見えた気がしたのです。
ー綾子?!ー
頼朝のもとに行っている最中にでも綾子は、この橋を渡って西方浄土へ行ってしまったのだろうと思っていた三郎は、この遅い刻限に、この橋を渡る一群に綾子の姿がみられたことで、今までの失望感が一気に吹き飛ぶ思いでした。彼は廻り続ける羽根車の中に見える綾子の姿を追い続けます。
彼女は市女笠に杖を持ち、四囲の人たちと一緒に橋を渡って来るのが分かります。時々一緒に歩いている仲間(なのでしょうか?)に笑顔で話しかけている表情まで三郎には分かるのです。
ここ10年間、彼女は病に臥せっていたので、このように元気な姿で歩いている綾子を見るのは久しぶりです。
ーあの頃のやさしくおおらかな綾子だ!-
今迄10年間に渡って、三郎の心を縛り続けたもの、それは綾子の病気に苦しむ姿でした。彼は綾子が亡くなる直前まで、いつか彼女が元の姿に戻るに違いないと、それだけを希望に生きてきました。しかし、その希望も虚しく3年前に彼女が亡くなると、今度は橋を架け追善供養することだけが彼の生き甲斐になりました。
橋を架け、亡者となった彼女が西方浄土に向かう途中で、元の姿を一瞬でも見ることができたことにより、この10年間の心の縛りが氷解したのです。
彼の目には滂沱の涙が溢れ、ともすると橋を渡ってくる綾子の姿を見失いそうになります。
ー綾子には、この橋が綾子の追善供養に私が架けた橋とは分かっていないのだろうな。-
回る羽根車に写る綾子の姿が見えなくならないよう反射角度を調整しながら、三郎がそう思った時です。
綾子と目が合いました。いや、合ったように三郎が思った直後、綾子の口がこちらに向かって話しかけるように動きました。
ーなに?-
と、三郎は思わず立ち上がり、後ろの橋を振り返りました。
しかし、そこにあるのは空疎な橋の構造物だけでした。綾子も他の橋を渡る一群もそこには全く見えません。
三郎は、慌ててまた馬止鏡の羽根車に目を移します。しかしなんと羽根車の回転は止まっています。
綾子は消えました。
⑥相模川から西の富士を見る |
ーどうしたんだ!もう一度、もう一度綾子を見せてくれ!ー
とばかりに羽根車を睨みますが、全く動きません。自分で廻してもみましたが何も映らないのです。
三郎は、廻らない羽根車の馬止鏡を投げ捨てると、土手を走り登ります。
橋に駆けのぼり、綾子が歩いていった西を臨むと、只々夕焼けの富士山が静かに美しく佇んでいます。(写真⑥)
三郎は、袖で涙ににじんだ目を拭くと、
「綾子、達者でな!ありがとう!」
と夕焼けに向かって叫ぶのでした。
4.おわりに
頼朝亡き後も、北条時政の謀略は続きます。皆さまご存知の通り、時政の謀略は源家だけに留まらず、畠山重忠の乱に見られるように、ここに出て来る頼朝暗殺計画を知る稲毛三郎重成や畠山重忠にも累が及ぶのです。
その辺りは、またいつか「いなげや」第2部として描きたいと思います。
◆ ◇ ◆ ◇
後世、三郎こと稲毛三郎重成は、愛妻家として有名な武将と評されます。
勇猛果敢に戦い、正室以外にも側室を設ける一夫多妻のこの時代には珍しい愛妻家である彼は、今も仲良く枡形城の麓で、綾子のお墓と並んで立っています。(写真⑦)
⑦枡形城麓にある三郎(左)と綾子(右)の墓 |
《第1部完》
ご精読ありがとうございました。
上記内容には一部フィクションが入り混じっておりますのでご了解ください。
【相模川 馬入橋】神奈川県平塚市馬入
【廣福寺(三郎と綾子の墓)】神奈川県川崎市多摩区枡形6丁目7