マイナー・史跡巡り: いなげや⑦ ~綾子~

日曜日

いなげや⑦ ~綾子~

①現在の多摩川の橋の上から枡形城を見る
※中央左の三角屋根が枡形城本丸跡
《これまでのあらすじ》

1189年、稲毛三郎重成(しげなり:以下、三郎)の妻・綾子は、多摩川の南側にある枡形城で、病に伏せるようになります。(写真①

この原因を江の島の弁財天が何かを知っているとの今若(義経の兄)からの情報に基づき、綾子の父である北条時政(ときまさ:以下、時政)は江の島を訪れました。

そして、源氏が滅ぼした平家と奥州藤原氏の亡者たちが原因であると弁財天から聞き出します。更に綾子や鎌倉自体を守るには生贄が必要とも。これを聞いた時政は、策謀を練り始めます。

1192年の頼朝の上洛時に、時政は三郎と、三郎の従兄弟・畠山重忠(しげただ:以下、重忠)に胸の内を打ち明けます。時政の策謀に戸惑いながらも同調した二人、翌1193年の「富士の巻狩り」の中で頼朝暗殺計画に加担します。

この計画は、有名な曾我兄弟の仇討ちを利用し、頼朝もこの兄弟に暗殺させるというものでした。
仇討ちは成功するものの、頼朝暗殺は失敗に終わります。

しかし、時政は失敗で転んでもタダでは立ち上がりません。三郎を使い、この仇討ちの直後、鎌倉に「頼朝殿が巻狩りで暗殺された!」との噂を流します。

この噂に心配をする頼朝の妻・政子、その政子の不安を払拭しようと、頼朝の異母兄弟である範頼(のりより)が御所に駆けつけ

「義姉上、ご安心ください。鎌倉にはこの範頼がおります。」と励ますのです。

この思いやりのある一言が、まんまと時政の餌食になるのです。
範頼は、頼朝に謀反の心ありとされ、伊豆へ流刑となり、その地で誅殺されてしまいました。
頼朝こそ亡き者に出来なかった時政ですが、大きな政敵となりそうな、源家の1人を抹殺することに成功するのでした。

【今迄の話 リンク集】
いなげや① ~稲毛三郎と枡形城~
いなげや② ~弁財天~
いなげや③ ~富士の巻狩り㊤~
いなげや④ ~富士の巻狩り㊥~
いなげや⑤ ~富士の巻狩り㊦~
いなげや⑥ ~源範頼(のりより)~

1.綾子の病状

話を枡形城に戻します。富士の巻狩りから枡形城へ戻ってきた三郎は、帰着すると直ぐに、城の麓にある妙楽寺(みょうらくじ)に向かいます。

「おお、三郎殿、久方ぶりじゃのう。」
と出迎えた住職の今若は、6月の梅雨の季節、霧雨の中、馬から下りる三郎に傘を差しかけ出迎えます。傘を受け取ると、三郎はこの憂鬱な天気の中の境内をぐるっと見回しました。

②妙楽寺の紫陽花
前回ここに来たときには、紅葉が美しかったこの境内も、季節が一変していました。

ともすれば三郎の綾子を心配する灰色の心と同調する霧雨の陰鬱な景色の中に、そこだけ明かりがパッと灯ったような沢山の紫陽花が咲き乱れています。(写真②

この紫陽花の明るさに救われた気持ちになりながら、三郎は、今若の案内で、綾子の臥所へと急ぎました。

縁側を通り、綾子の部屋の前で、今若が一言声を掛けます。

「綾子殿、三郎殿がお帰りなされました。入ってよろしいですか?」

どうぞの返事が返る間もなく、障子をするっと開けると、かなり痩せた綾子が、臥所から起き上がっています。

「今日は調子が良さそうですな。ではいつものお脈を。」

と言って綾子の脈を手に取る今若。三郎は、痩せた綾子をじっと見つめました。
綾子も脈を見せながら、痩せても眼光は衰えない大きな目で、三郎を見つめています。

そして
「三郎殿、お帰りなさいまし。お忙しいでしょうに、このような病身の私のところに来て頂けるとは・・・。」

三郎は、「しっー」と、綾子を見つめたまま、口頭に人差し指を立てます。

「無理してしゃべらずとも好い。早く良くなって枡形城に戻っておくれ。」

「はい。」と素直な綾子。
③衾とは、この時代は掛布団のことを指します

今若の脈取が終ると、三郎は今若と一緒に、綾子をしずかに床に仰向かせ、上に衾(ふすま)を掛けてあげます。(写真③

今若は綾子に静かに話しかけます。

「今日は不整脈も診られず、熱もいつもよりは幾分収まっておられます。意識もしっかりしていらっしゃいますし、恢復も近いですよ。お義妹さま。」

「・・・」

綾子は少し悲しそうな顔をします。

「三郎殿、私はもうあの人たちが可哀想で可哀想で仕方が無いのです。助けたいのですが、私にはどうすることもできない。きっと私は彼らの元に行きます。」

「あの人たち?何のことだ?綾子。」

と更問をしようとする三郎を今若が手ぶりで制します。そして

「お義妹さま。大丈夫ですよ。三郎さまがお帰りになったのですから、何も按ずることはございません。ゆっくりお休みになって、早くお元気になってください。」

綾子は天井を見上げながら、なにやらぶつぶつと呟いていましたが、直ぐに目を瞑るとまた小さな寝息を立て始めました。

今若に促されて、三郎も綾子の臥所を退去すると、別室で今若と綾子について話をします。

「綾子殿は、ずっと以前から変わりなく、多摩川を渡ろうとする亡者の夢を何度も見るようです。以前は、ずっとその夢を怖がっていましたが、最近は先程の会話にもありましたように、その亡者たちを可哀想がるのです。意識がハッキリしているときに聞いた亡者の話からするとどうやらその中に、奥州藤原氏四代目の秀衡(ひでひら)を始め、我が弟・義経らしき人物もおるようなのです。」

「なんで秀衡や義経まで、綾子は会ったことが無い人物なのに分かるのか?」

「はい、綾子殿が枡形城に臥せっている時には、枡形城本丸の御所から、多摩川対岸が良く見える状態であることは、三郎殿も良くご存知だと思います。(写真①参照

今も、そこに多摩川を渡れずに屯っている亡者どもが沢山居ると、綾子殿は言っています。どうやら彼女は発熱し、意識が無くなると幽体離脱が出来るようで、何度も枡形城を自分一人で出て、多摩川のこちら側でその亡者たちと対面しているようです。
その中に貴人のような亡者も見えるようで、綾子殿の彼らの姿・いでたちの話からすると、私には秀衡や義経のような人物と推測できるのです。
彼らの沈痛な表情・雰囲気は、決して襲ってくるというようなものではなく、多摩川を渡り、鎌倉側と和解したいと願っているように見えると綾子殿は言うのですよ。」

「それで時々うわ言で、『橋を!橋を!』と言うのか。」と三郎。

「はい、彼女は特に秀衡や義経の雰囲気を遠望するだけでも、深い同情心が発生するようです。何があったのでしょう?是非この多摩川に橋を架け、彼らと話をしたいと言い出した時がありました。ただ、どんな事情があろうと、亡者に魅入られた者に与えられるのは死だけなのです。そこで私は綾子殿を枡形城から、麓のこの妙楽寺に床を動かし、なるべく亡者たちが見えないようにしました。」

「して、良くなっているのか?」

「はい、以前よりは意識がはっきりしている頻度・期間も増えましたし、発熱する時間等も短くなったようです。幽体離脱の頻度もかなり抑えられているのでしょう。」

ふー、と三郎は大きく息を吐き、少し安堵した様子を今若に見せながら、
「実は、御所殿(頼朝公)から、2回目の上洛へのお供を仰せつかっている。綾子が危ないのであれば、お断りしようと考えていたのだが・・・。」

今若が応えます。
「私の方で綾子の病状は面倒を見ますので、三郎殿はお役目をしっかり務めて下さい。」

2.2度目の上洛

1195年、前回の上洛から5年後、頼朝は2度目の上洛を行うこととなりました。

前回の上洛が後白河法皇との和解と、鎌倉幕府の威光を喧伝するための上洛だったのに対し、今回の上洛は、頼朝の長女・大姫(おおひめ)の入内(じゅだい:正式に天皇家へ輿入れすること)の周旋等が主な目的でした。

④大姫長野県木曽町HPから
大姫は、7歳の時に木曽義仲の11歳の息子・義高(よしたか)と大悲恋を経験したことで有名です。(絵④

木曽義仲は、京都から平家を西へ追い払う等、源平合戦が本格化する前に、信濃木曽から京都へ出て大活躍をするのですが、源氏として影響力の大きい鎌倉の頼朝と、この時同盟を組みます。

そして同盟の証として、頼朝の娘・大姫の婚約者として、義仲の嫡男・義高を鎌倉に送ります。勿論、これは体(てい)の良い人質として義高が鎌倉側に取られたようなものなのです。(絵⑤

当時7歳と11歳のカップル。大姫は幼いながらも、盛んに「よしたかさま、よしたかさま。」と仲良く遊び、自分も一端(いっぱし)の婚約者であるように振る舞います。

まだ思春期前の2人、大人の恋愛とはわけが違う と頼朝は考えたようですが、これが甘かったですね。
⑤木曽義高(清水冠者義高)

そして頼朝と義仲が敵対し、義仲が討たれると、頼朝は聡明な義高が、将来仇討ちをしてくることを怖れ、信濃へ逃亡中の彼を殺害します。

大姫はこの件を知ると、食べ物も食べず、日に日に衰弱し、寝込むようになりました。政子を始め、皆関係者は心配するも、幼子のことなので、いつか時間が解決すると思っていた節があります。

しかし、大姫は結局それから10年間、ひたすら亡くなった義高を想い続けました。

作家の永井路子さんに言わせると、女性の恋愛感情は、稀にその生殖的な要素が無い幼児の頃に確立することもあり、そこが男性とは違うのではないか、この大姫の青春はたった7,8歳で終わってしまったとしています。(永井路子著「炎環」より)

一部では「いや、そんな幼少期に大恋愛に発展する訳が無い。これは室町時代以降脚色された和製ロミオとジュリエットだ。」とおっしゃる方もいますが、私は永井路子さんの見解が正しいように思えます。

脱線しましたが、この2度目の上洛に、三郎と重忠も同伴します。

重忠は、前回の上洛同様、張り切って先陣・露払いの役を仰せつかり、京の人々も「あれが勇猛果敢で鳴る重忠か!」とその雄姿を一目拝まんとの衆目を集めますが、三郎は至って地味な周辺務め。体調が優れない大姫のお世話や、その他雑多な裏方の仕事に従事しています。

この上洛中、一度だけ、政子と大姫の大喧嘩を立聞いたことがありました。

「お母さま、私はつい最近、一条高能(いちじょう たかよし)さまとの縁談を持ちかけられた時にも、申し上げた通り、義高様以外の方とは決して結ばれない身でございます。いくら入内し、女として最高の地位についたとしても、死んだも同然で却って帝(みかど)に御迷惑をお掛けするばかりではございませんか?」

「まあまあ、そうは言っても帝から気に入られてしまったんですもの。今更お断り出来るものでは無いでしょう。何も考えずに入内すれば良いのですよ。10年も経てばあなたもお父様や私がした今回の仕儀に感謝することになると思うわ。」

「お母さま、いや、お父様も、あれから10年も経つのに何もお分かりになっていないのですね!」

三郎は10年経っても義高を想い続ける大姫に、妙楽寺にて病魔と闘う綾子を重ね合わせます。もしや、綾子が見ているという亡者の中に義高殿もおられるのでは・・・。

政子も、入内して女性としての最高位に付けば、流石に義高の事を忘れるのではないかと考えたのでしょう。いくら大姫が気が乗らないと言っても相手は天皇ですから、断る訳にもいかず、大姫も京までなんとか付いて来た次第なのです。

しかし、それから2年後、この入内が実現する直前に、まるで断ることも出来ない入内を拒否するにはこれしかないと言わんばかりに、大姫は病死するのです。

御歳二十歳(はたち)でした。

3.綾子の急変

さて、上洛も終わり、また鎌倉へ下向するのは、梅雨も終盤に入ろうとする季節でした。

途中、美濃(現在の岐阜県)の青墓(あおはか、大垣市付近)まで来ると、馬蹄の泥を振り撒きながらぬかるんだ街道を、一人の武者が頼朝一行の行列へ向かってきました。

武者は、頼朝・政子・三郎の3人に注進します。

「綾子の病が重い?」
頼朝の表情が硬くなります。

三郎も
「妙楽寺へ移してから、容体が良くなってきたと聞いておりましたが・・・」

と動揺を隠すことが出来ません。同行していた政子も、綾子は妹ですから、気が気ではなかったでしょう。

「三郎、直ぐにたて!」
頼朝は行列に連れている馬の中でも、一番の駿馬を三郎に与えました。

「かたじけのうございまする!」
「おう、くれぐれもいたわってやれよ。」

ぬかるんだ街道の泥を捲き上げながら、三郎を乗せた黒い駿馬が視界から消えるまで、頼朝と政子は見送りました。

岐阜から枡形城まで、三郎は3日で到着しました。以前、三郎は富士の巻狩りの現場から鎌倉までの往復を7時間で行うという馬使いの技を披露したことがありましたが、今回はその距離の5倍はあるでしょうか?

いずれにせよ、ぬかるんだ街道を3日で戻れたことは驚異的であり、その駿馬は「三日黒」(みっかぐろ)と名付けられました。

枡形城の麓の妙楽寺に飛び込んだ三郎。綾子の臥所に飛び込むと、そこには今若とその妻・徳子が、真っ赤に発熱している綾子の汗を拭いております。

三郎が入ってくる姿を見るなり、徳子が「綾子、三郎様が戻られたよ。」と涙声で妹の耳元で大聲で言います。三郎も綾子の枕元に膝をつくと、直ぐに綾子の手を取り、「おいっ!綾子、今戻った。しっかりしろ!」と声を掛けます。

呼吸も絶え絶えの綾子、しかしその目はギュっとつぶったままです。

しばらく、手を握ったまま三郎は綾子の意識が戻ることを祈り続けました。
数刻経った頃でしょうか。今若が三郎に静かに話しかけます。

「三郎殿、綾子殿は10日程前から、高熱を発し、意識が戻りません。時々「三郎様、三郎様!」とか、「あなた、橋を!橋を架けて下さい。」等とうわ言を発しておりましたので、多分また幽体離脱し、多摩川へ行かれたのかも知れません。意識が戻らないことから、綾子の幽体は、多摩川対岸の亡者たちに取り込まれてしまったのかもしれません。」

「なに!では至急狛江人(こまえびと:高麗からの渡来人たちで高い治水技術を持つ)を使い、多摩川に橋を架けよ。急げ!船を数珠繋ぎにした即席の橋でも良い。綾子の幽体が戻ってこれるようにせよ!」
と三郎は怒鳴ります。
⑥多摩川を渡ろうとする綾子に襲いかかる大蛇
(イメージ) ※画:河鍋暁斎

今若は、悲しい表情で三郎を見つめました。

「三郎殿、多摩川は今、梅雨終りのため水位が高すぎます。幾ら狛江人が高い技術を持っていても、まだ半月は多摩川に橋を架けるのは無理です。」

その冷静な今若の言葉を聞くと、三郎は固く握った綾子の手の甲に、大粒の涙をボタボタと落し、「綾子!綾子!」と叫び続けるのでした。

4.稲毛入道

それから2日後、綾子は三郎に手を握られたまま、息を引き取りました。

綾子の手を握っている間中、自分の無力を痛感した三郎は、即日出家をし、稲毛入道(または小沢入道)と法体名を付けています。

これからは綾子の供養・追善にのみ生きる!覚悟を三郎はするのです。

◆ ◇ ◆ ◇

息を引き取る数刻前、手を握り続ける三郎は、その状態で夢を見ます。(絵⑥

綾子は、梅雨の水嵩を増した多摩川を泳いで戻ろうとするのですが、弁財天の化身である大蛇がまた行く手を阻みます(「いなげや②」の大蛇も参照)。

大蛇にさらわれる瞬間、綾子を助けた亡者が居たように見えたのですが、その瞬間に三郎は目を覚まし、冷たくなっていく綾子をなす術もなく看取りました。


◆ ◇ ◆ ◇ 
⑦あじさい寺(妙楽寺)の手水場(ちょうずば)

最後に見た綾子のメッセージは何なのだろう。三郎のこの話を聞いた今若は、時政に話しをした時と同様に、「弁財天なら、綾子の幽体の最期について何か知っているかもしれない」と三郎に話します。(「いなげや②」参照

三郎より1週間遅れの7月8日に鎌倉に戻った頼朝・政子ですが、政子は妹の喪に服して、家臣の家に移っています。綾子の死は、三郎だけでなく、時政を含めた北条一族の深い悲しみとなったのです。

紫陽花は死者への花と良く言われますが、綾子の亡くなった妙楽寺は、現代では「あじさい寺」として有名です。(写真⑦

きっと沢山の紫陽花を、三郎は綾子の墓前に供えたのでしょう。(写真⑧
⑧廣福寺にある綾子の墓(右側) ※左は稲毛三郎の墓

《つづく》

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。上記内容には一部フィクションが入り混じっておりますのでご了解ください。