「来年の大河ドラマの主役は小栗上野介忠順か。ならば、彼の功績の足跡を辿ってみたい」 そんな思いに駆られ、横須賀のヴェルニー公園へと足を運んでみました。(360°写真①)(写真②)
今でもこの公園の岸壁からは、日本の海を守る立派なイージス艦や潜水艦が停泊している姿を間近に見ることができます。(写真④、⑤) 小栗が心血を注いで整備したこの地が、170年以上経った今でも日本の海上防衛の要衝として息づいているのを感じます。
さて、幕末の幕府側の超優秀な官吏として、小栗上野介はよく勝海舟と対比されます。 勝海舟は「まずは海軍を動かす人材を育てなきゃ始まらねえ!」と、日本海軍の”ソフト面”の充実を優先。神戸に海軍操練所などを開設して、優秀な人材の育成に奔走しました。(写真⑥)
| ⑥神戸大開ビル(NTTビル)の隣りにある 勝海舟が開設した「海軍操練所跡」 |
一方の小栗上野介は「いやいや、まずは立派な船とそれを造る設備がないと話にならんでしょ!」と、”ハード面”の充実を優先し、この横須賀港の整備を強力に推し進めたのです。同じ幕臣でも、二人のアプローチの違いが面白いですね。
そんなインフラ整備の天才である小栗ですが、実は軍略家としても底知れぬ才能を持っていました。 西郷隆盛らの官軍が江戸へ迫ってきた際、小栗はこんな作戦をぶち上げます。
「官軍が箱根の山を越える手前で迎撃する!同時に駿河湾から幕府艦隊で艦砲射撃を浴びせ、敵の兵站(補給線)を木端微塵に寸断してやるわ!」
しかし、主君である徳川慶喜は「いや、あくまで朝廷には刃向かわない。恭順一辺倒でいくから」と、この作戦をあえなく却下。 結局実行されることはありませんでしたが、後にこの作戦を知った天才軍略家・大村益次郎が「もし実行されていれば、我々は皆殺しにされていただろう。恐るべき作戦だ…」と青ざめながら絶賛したという、凄まじいエピソードが残っています。
もしこの作戦が実行されていたら、日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。しかし、現実は非情です。 最期は自領である北関東の安中に退き、寺子屋などを開いて細々と隠遁生活を送っていた小栗ですが、官軍によりいわれのない罪で捕縛され、取り調べすらないまま即斬首。幕府のために尽くした天才は、数え年42歳という短命で悲劇的な最期を遂げました。
一方、対照的だったのはソフト面を重視した勝海舟。彼は明治維新後も生き延びて新政府でも要職を務め、洗足池のほとりで77歳の天寿を全うしました。(写真⑦)
